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2007年8月31日(金)
フライドチキン
今日は、昼過ぎのバスでバラコアを離れるようになってたんで、出発前に昼飯を食っとくかと、何もない町を歩きながら食料を求めていると、昨日の夜は閉まってた店でフライドチキンが売っていた!日本やメキシコでは、いたるところで見かけるただのフライドチキンが、キューバで見ると、この上ない御馳走に見えてくるんだから不思議だ。

キューバに物がないというわけじゃないが、配給制のためか、俺ら外国人が物を買える場所が、なかなか無いからそう思えるんだろう。まあ、なにはともかくフライドチキンが売ってたわけだ。久しぶりの肉だ!といっても、3〜4日ぶりだが・・・でも、日本にいたら3〜4日全く肉を食わずに過ごすなんてこともなかなかないわけで、とにかく俺らは肉に飢えていた。

何かに取りつかれたように、その店に入って、フライドチキンを2人前持ち帰りで頼む。なぜ持ち帰りにしたかというと、フライドチキンといっても、こっちのはただの素揚げで味付けがされてない。宿に戻れば、自分達持参のケチャップ、マヨネーズ、塩、コショウがあるんで、それで味に変化がつけられる。キューバにいると、このケチャップやマヨネーズなんかが、途方もなく美味しいものに思えてくる。とにかく持ってきて良かった!これほど、ケチャップやマヨネーズなんかを有難いと思ったこともなかっただろう。

宿に戻って、久しぶりの肉を貪るように食う。美味い!とにかく美味い!お肉最高!そう思わずにはいられなかった。久しぶりのお肉に、身も心も大満足させられた!

キューバにいると、こんなことで感動できる。いいか悪いか知らないが、なかなか貴重な経験かもしれない・・・


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2007年8月30日(木)
何もない・・・
サンティアゴ・デ・クーバを離れ、バラコアという小さな町にやってきた。

   

ここは、地球○歩き方には載ってないような小さな町だが、Lonely Planet には載っていて、それによると、小さな海沿いの町で、のんびり過ごすには良いところと紹介されている。

しかし、実際やってきてみての感想は、あまりにも何もなくてやることがないというのが正直な感想だ・・・

町には特に見どころもなく、町が一望できる丘に行って、海岸沿いを歩いたら、他にやることもない・・・ビーチがあるとは言っても、本当にビーチがあるだけで、飲み物を出すような店は1軒もない・・・

確かにのんびりできそうだが、ちょっとしゃれたカフェで、ビールでも飲みながら、海を眺めたり本を読んだりといった類ののんびりではない。ただ、ひたすら海だけを眺めつつのんびり、そういった類ののんびりだ。要するに、何もないところなのだ。

そんな何もないバラコアで、夕方、嫁さんと二人で散歩を楽しみ、お腹も減ったんで何か夕飯を食べて帰ろうかということになった。一応、そのときまだ夜の19時くらい。
町の中心の広場に行ったが、まずレストランが少ない。
というより、2〜3軒しかない。そして、どの店ももう店じまいの準備をしていて食べられないという。普通なら、今からお客が来始める時間というのに、もう店じまいとは・・・

しかたがないんで、一旦宿に帰ってから自分が何か買って来ることにした。パンか何か買えるだろうと思っていたのだ。しかし、そんなに現実は甘くなかった。まず、夜の8時前というのに、すでに通りを歩く人の姿はほとんどない・・・しかも、キューバは街灯が少ないんで、それがまた一層人の少なさを強調する。どっかに何か売ってないかと思って大通りまで出るが、しんと静まり返っている。
まだ、こんな時間なのに・・・この町は、眠りにつくのが早すぎるだろう!俺らみたいなツーリストが困るだろ!晩飯にありつけずに、餓死してしまうぞ!と、軽い怒りさえ覚えてしまった。

それでも、何か買って帰らねばと、大通りを少し歩くと1軒の食堂がまだやっていた。結局、ここでピザ(ピザといっても、具はチーズだけ)を買い、なんとか食にありつけた。

それにしても、ここバラコアはのんびりできるとか書いてあるが、むしろ何もなくてのんびりせざるを得ないと言った方がいいんじゃない?というくらい何もない町だった。


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2007年8月29日(水)
タクシー持久戦
今日、サンティアゴ・デ・クーバからちょと離れた所にある場所にモロ要塞という所に行ってきた。

最初、値段も安いんでバスで行こうとしたが、あまりの人の多さに嫌気がさしてやめた。バスといっても、大型トラックの荷台に屋根が付いただけのやつで、これに何十人という人がギュウギュウに詰め込まれていて、東京の通勤電車並かそれ以上と言った感じだった。なかには、荷台からはみ出て、片足だけで乗ってるような人もいた。

バスがダメということで、残る移動手段ははタクシーだけということになる。一応、宿の人にそこまでの往復の相場を聞いてきたら、6〜7CUCと言ってたんで、その値段で行ってくれるタクシーを探すことにした。

町の中心にある広場に行くと、こちらから探すまでもなく、むこうから、「タクシー!タクシー!」と声をかけてくる。探す手間がかからなくてよかったと思いつつ、目的のモロ要塞までの往復の値段を聞くと、どいつもこいつも12CUCだとか、13CUCだとか言ってくる。聞いてた値段の2倍近いじゃないか!そんな法外な値段で行ってられるかと、全員いらねえと言って突っぱねる。

あんな自分から話しかけてくるような奴は信用ならねえから、自分でタクシーを探すかと探すも、今度は肝心のタクシーが捕まらない。走っていても、客を乗せて走ってるのばかりで、全然捕まらない。

う〜ん、タクシーを捕まえるだけなのに、なかなかうまくいかないなあと、多少困っていると、一人のおっちゃんがタクシーを探してるのかと声をかけてくる。また、法外な値段をふっかけてくるタクシーの運転手かと思ったが、なんか警察みたいな制服を着ていて、タクシーの運転手ではないようだ。モロ要塞まで行くのに、タクシーを探してると言うと、じゃあ俺がタクシー探してやるよと言ってくる。いくらで探してるんだと聞かれ、往復で6CUCだと言うと、6CUCはきついなあ、せめて8CUCはださないときついぞと言う。

そこで待ってろと言われ、おっちゃんが一人タクシーのドライバーを連れて来て、

「こいつが、10CUCでなら行くと言ってるがどうだ?」

と聞いてくるが、

「高い!」

と言って断る。そのあとも、何人か紹介してくれたが、値段が折り合わず、断り続ける。おっちゃんも、もう紹介する奴がいなくなったのか、俺らにあきれたのか、あとはもう自分たちで探せと言ってきた。まあ、それならしょうがないと、もう一度自分たちで探すことにした。

しかし、こちらの思う値段で行ってくれるタクシーは見つからない。宿で聞いた値段は間違いだったのか?いや、そんなことはないはずだ。ここに行ったという日本人も、往復6CUCだと言っていた。これは、断固として6CUCで行ってやる。などと、なかばやけくそ気味になってきていた。こっちは、今日はそこしか行くとこないし、時間はあるんだ。持久戦でもなんでもやってやるさ!そう心に誓ってた矢先に、先ほどのおっちゃんが、またやって来て、

「6CUCで行ってくれるタクシーを見つけてきたぞ。」

と言ってくるじゃないか。どうやら、俺らがその後もずっとタクシーを探すのを見てたみたいで、自分たちのことを気の毒に思ったのか、あんまりつかまらないんでアホと思ったかは知らないが、とにかく俺らのためにタクシーを見つけてきてくれたようだ。

こうして、タクシーを捕まえるのにかなり苦労はしたものの無事に、目的地まで行くことができた。ただ、あとから分かったが、実はおっちゃんが連れてきたのはタクシーでも何でもなくて、彼の友達の白タクの運転手だった。まあ、予定の額で行けたんで、別に何でもいいんだけど、タクシー一つ捕まえるのも、なかなか大変なところです。キューバは。

タクシー代けちらなきゃいいじゃんという声も聞こえてきそうだが、別にケチってるわけじゃないぞ!あくまでも、適正価格で行きたいだけなのだ。そう、適正価格で!もう一度言うが、ケチってるわけじゃないぞ!


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2007年8月28日(火)
客引き攻勢
キューバには、カサパティクールという政府公認の民宿があって、1泊1部屋10〜20CUC(約1400円〜2800円)で泊まれる。当然、ホテルより安いんで、バックパッカーはみんなそっちに泊まる。そして、バスターミナルにバスが着くと、必ず客引きに来てるんで、宿探しの手間も省けるんで助かる。というよりむしろ、すごい数の客引きに囲まれて、うちに来い来いと言われるんで、一つに絞るのが大変だったりする。

今日の朝、ハバナから夜行でサンティアゴ・デ・クーバという町に着いた。

   

荷物を受け取り、さあターミナルの外に出ようかと出ると、いきなり20人くらいの客引きに取り囲まれる。久々にこんなにたくさんの客引きに囲まれたなあ、インドみたいだぞなどと思ってしまう。

みんな、俺の宿に泊まれ泊まれと言ってくる。部屋の写真持参で、きれいだの広いだのエアコンがあるだのとアピールしてくる者もいる。中には、なぜか家族の写真だけを見せて、うちはあったかいアットホームなとこだぞとアピールしてくる変わり者もいる。

ただ、こうやっていろいろとアピールしてくるが、キューバに行った人からの話だと、政府公認の宿ということもあって、だいたいどこもエアコンがあってプライベートのバスルームがあってという感じで、大差はないと聞いていた。そうなると問題は、1泊いくらかということになる。大差ないなら、少しでも安い方がいいに決まってる。取り囲む客引きに値段を聞くと、皆一様に15CUCと言ってくる。どうやら、キューバでも談合というものがあるようだ。誰一人として、15CUC以外の値段を言わない。値段協定というものが、きっちり話し合われているようだ。

それならばと、バスターミナルから民宿がある辺りまではちょっと遠いんで、そこまではタクシーで行くことになる。ということで、そのタクシー代を持ってくれる宿はあるかと聞くと、だいたいみんな2〜3CUC出してくれれば、残りはうちが持つというのばかりだった。

が、そこに、

「俺は、1CUCだけ出してくれればいいぞ!」

と言う威勢のいいおっちゃんが現れた。おお、それならあんたのとこに行こうかというそぶりを見せると、他の客もいっせいに、俺も1CUCでOKだと言い始めた。う〜、こうなってはまた決め手にかけてしまうなと迷っていると、一人の客引きが俺の手を引っ張って、うちに来いとグイグイ引っ張りだした。すると、他の客引きもうちに来い来いと引っ張るんでもみくちゃにされるじゃないか!おいおい、いつから俺はこんなに人気者になったんだ!俺は、普通の単なる日本人の旅人だぞ。お前らに、そんなに手厚く、いやむしろ手荒く歓迎される筋合いはないぞ。

「痛いから、やめろ!とにかく、引っ張るのをやめろ!」

と日本語で言ったが通じたようで、みんな一応手は離してくれた。でも、どいつも狙った獲物は逃さないとばかりに、俺の周りを取り囲んで帰る気配など全く見せない。
みんな目がギラギラ血走ってやがる。

そんな緊迫したところに、ある一人の兄ちゃんが現れた。

「俺の家で良かったら、タダで車に乗っけていくよ。気に入らなかったら、別の宿に行けばいいし、とりあえず町の中心まで行くし、乗って行きなよ。」

と、さわやかに英語で話しかけてきた。そして、これには誰もタダで乗っけてくぞと呼応するものはいなかった。

「お〜、タダで乗せてってくれるのか、それならもう君の家に決めた。」

そう言って、俺を取り囲んでいたたくさんの客引きの間を縫って、彼の車に乗り込んで行ったのだった。

あれだけ熱を帯びていた客引き合戦も、あっけないもので、最後は、さっそうと現れた兄ちゃんに客をあっさり奪われて幕を閉じるのであった。

キューバで、民宿の客を捕まえるのは大変なようだ。


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2007年8月27日(月)
両替詐欺
キューバに来て3回両替をしたが、そのうち2回も、実際貰う額より少なく渡してきた。両替詐欺が多いとは聞いていたが、やっぱり本当みたいだ。

1回目は、大した額じゃなかったし、ちゃんと気づいてもらったが、2回目の今日はひどかった。日本円で7000円近くも、ぼられるところだった。原因は、おそらくキューバの両替の表示が変わってるからだと思う。普通は、海外で両替するときは、両替する外貨1単位をその国の通貨いくらで買うといった表示がされることが多い。というより、今までそれしか見たことない。例えるならば、タイに行って100円両替すると、30バーツになりますよといった表示がされているから、10000円両替すれば、手元にくるバーツは、30×100の3000バーツと計算は簡単だ。ただ、キューバは違っていて、1CUCを買うのに、日本円ならいくらといった書き方をしてるんで、ちょっと分かりにくい。
実際に、1CUC買うのに日本円で132円位なんで、10000円渡したら、それを132.○○・・・で割った値段が手元にくるんで、ちょっと掛け算するよりも、頭の中で計算するにはややこしい。そんなもん、両替した時にレシートくれるから大丈夫だろうと言うかもしれないが、こっちの人間はこっちからくれと言わない限りは、レシートをくれない。

実際、今日も最初レシートをくれなかった。カナダドル500ドルを両替してくれと渡したら、レシートもなしに適当に数えたようなCUCを渡してきた。自分で、実際に数えてみると、なんとなくというか明らかに貰うべき額より少ない感じがする。とりあえず、レシートをくれと言うと、俺の前のやつまでばっちり動いてたのに、今壊れてるとか嘘ばっかり言ってくる。さっきまで、動いてただろうと抗議するとレシートをくれたが、これも狙ったかのように、今度はレシートの印字が薄すぎて見えない・・・いったいいくら貰えるって書いてあるんだと聞くと、おもむろに手書きでいくらと書いてよこしてきた。最初に、俺に渡してきた額だ。明らかにこのババアめ、ちょろまかそうとしてやがる。頭にきたんで、電卓貸せといってもないと言うんで、じゃあボールペン貸せと言って、自分で計算すると、50CUC(約7000円)も足りない。

「おい、明らかに貰う額少ないぞ!」

と抗議すると、ババアもやばいと思ったのか

「ごめん、ごめん。パソコンに打ち込む数字を間違ったわ。本当は、この額よね。」

と言って、パソコンの画面を俺の方に見せてきた。
うむ、確かに俺が自分で計算した額と一緒だ。それなら、早いとこそのちゃんとした両替額をいただいて帰るかと思い、改めて渡されたCUCを数えると、今度は20CUC足りない・・・

「おい、今度は20CUC足りねえぞ!もういっぺん、数えてみいや!」

と言って、このババアにもう一度、目の前で数えさると、やはり20CUC足りない。ババアは、それでもヌケヌケと笑いながら、

「ごめん、数え間違えたみたいねえ。」

と言って、20CUCプラスして渡してきた。これで、きちんと貰ったことになったわけだが、念には念を入れてということで、もう一回きちんと数えることにした。すると、こともあろうに、このババアときたら逆切れして、

「ちゃんと、あるわよ!ささっと、そこをどきなさい!」

と言ってきたが、無視してお金を数えたところ、ようやくちゃんとした額が手元にあることが確認できた。そのあとも、何かギャーギャーと俺に文句言ってきてたが、無視して店を出てきた。というより、何で俺が文句言われにゃいかんのや?言いたいのは、俺のほうだろ!まったく、こっちの両替屋は油断もすきもあったもんじゃない。どうせ計算できないとか思ってるんだろうが、日本人は数字に強いんだぞ!(ホントかどうかは知りませんが)こっちはなあ、円周率も3.14でならって、小学生のころからそれで計算してきてんだ。なめんじゃねえぞ!


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2007年8月26日(日)
ぼったくりバー
昨日の夜、ジャズバーに行ってきた。キューバに行ってきたという日本人何人かにも、良かったよと勧められたのと、週末が1番いい演奏が聴けるということで行ってみたのだ。

夜の10時から開始で、ちょっと早かったが9時過ぎに店の前に到着。聞いていた店の名前が書かれた看板もある。ここだなと思っていると、いきなりハイテンションな蝶ネクタイした身なりのきれいな男が、

「ジャズバー! カモン、ヒアー!」

と言ってきた。

ジャズバーと言っているんで、こっちも

「○○○(ジャズバーの店の名前)か?」

と聞くと、

「イエス! プリーズ、カム、イン! フォロー、ミー!」

と答えてきた。

「今日のジャズは、何時からあるの?」

と聞くと、

「ミッドナイト、11時くらいかな。」

と、曖昧な返事が返ってきた。何で店員のくせに、何時に始まるか知らないんだと、ちょっとおかしいとは思ったが、店の看板もあってるし、こいつもそうだと言うんだからそうなんだろうと思って、店の中に入った。

店の中は、薄暗く客は自分たち以外誰もいない。一応、ステージらしきものはあるが、楽器は一台もなく本当にここでジャズがあるんだろうかと疑ってしまう。もう一度、本当にここでジャズがあるか聞くと、男はあるよと答え、

「それよりも、飲み物は何にする?一応、入場料が10CUC(CUCはキューバの通貨単位)で、その中に2ドリンク分の料金が含まれてるんだけど。代金は、後でジャズが始まる前に払ってくれ。」

と言う。これも、キューバに来る前に、日本人から聞いていたのと一緒だったので、やっぱりここでいいのかなと思ってしまった。

とりあえず、嫁さんと1杯ずつ飲み物をオーダーし始まるのを待つことにした。中は、バカみたいにエアコンが効いていて、じっとしてると寒い寒い。こんなんで、ゆっくりジャズなんて聴けるんだろうか?それに、、もうすぐ10時というのに、何の準備もやってないじゃないか?

なんかおかしいなと思いつつも、10時半くらいまで待っていると、さっきの男がやってきて、

「もうすぐ、ジャズが始まるぞ。」

と言ってきた。

「は?なんの準備もしてないのに、これでジャズなんかあるわけないだろう?」

みたいなことを言うと、男は、

「ノー!ノー!ジャズは、ここじゃなくて下だ。」

と言われる。何のことか状況がよく飲み込めずにいると、男がこっちに来いと言って、店の外に連れ出し、今までいた店の脇にある地下階段をを指して、ジャスはここであるよと言っている。

ああ、そうなんだと思い、嫁さんを呼びに戻り店を出ようとすると、男が、

「ドリンク代8CUC払ってくれ。」

と言ってきた。

「何言ってんだ?おまえ!ここは、ジャズバーで代金に2ドリンク分含まれてるって言っただろう?何で払わないといけないんだよ!」

「いや、ごめん。ここはジャズバーじゃないんだ。ジャズバーは、下だからウチで飲んだ分の料金払って。」

男は、ヌケヌケとそんなことを言ってきやがったんで、誰が払うかボケ!と思い、嫁さんを連れて店の外に出ようとすると、男は俺の腕を力いっぱい掴んで、金を払えと凄んで言ってきた。とにかく、店の中にいてはまずいんで、人通りのある店の外に強引に出た。そこで、払え、払わないの押し問答を繰り返してると、人だかりができて、男の店のオーナーも出てきた。

このオーナーに、こいつが俺らのことを騙したと訴えるが、オーナーはこの男の味方のようで、男と一緒になって払わないなら警察を呼ぶと、嫌味そうにうすら笑いなぞ浮かべて言ってきた。

け、警察かあ・・・ スペイン語もろくに話せない俺らじゃ、こいつらのいいように言われておしまいだろう。畜生と思いながらも、あとには引けないんで、おう、呼べやと言い返したものの、内心はやべえと思っていた。嫁さんも、その時同じ心境だったようだが、ここで嫁さんが、

「警察呼んでもいいけど、ジャパニーズ・エンバシーも呼んでよね!」

と、会心の一撃となる一言を発する。これには、相手もビビったようだ。とにかく、警察呼んでも構わんが、ジャパニーズ・エンバシーも一緒に呼べよ!と何度も繰り返し言ってやった。相手は、わかった両方とも電話してくるからそこで待ってろと言い残して、店の中に消えて行った。が、1分も経たないうちに帰ってきて、さっきまでとは打って変わって、ニコニコと笑みなど浮かべて、こちらに近づいてきた。そして、

「ごめん、ごめん。俺の勘違いだった。飲み物代は、払わなくていいよ。俺が払っておくよ。」

なんて、言ってきた。ジャパニーズ・エンバシーが効果てきめんだったようだ。全く何が勘違いだよ。自分の店と、他人の店間違えるバカがいるわけないだろ。最初から、騙すつもりだったくせに。

そう思いながら、その場を去ろうとしていると、男がまた声をかけてきた。何だろうと思い、耳を貸すと

「飲み物代は俺が払うから、その代りチップをくれ。5CUCだ。」

と、こっちの開いた口がふさがらないような、アホなことを言ってきたので、

「おまえみたいなバカは、いっぺん死んだ方がいいよ。」と、日本語で貴重なアドバイスを述べて、そのまま無視してジャズバーに行った。

あ〜、それにしても後味が悪いというか、ちょっと腹の立つ出来事だった。まあ、ぼられなかったんで良しとするか。


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2007年8月25日(土)
スチェイス
結局、遅れに遅れたハバナ行きの飛行機が、ハバナに着いたのは夜中の3時・・・それから町に出てもしょうがないので、朝まで空港のベンチで寝ることにした。

      

7時くらいに嫁さんに起こされて、ハバナ旧市街まで行くことに。日本人旅行者からの情報によると、旧市街までは、基本的にはタクシーでしか行けないとなっているが、空港職員用の巡回バスというのがあって、キューバの現地人も勝手に使ってて、それに乗れるというのを聞いていたんで、それに乗って行くことにした。まあ時間がかかるらしいが、時間もあるし、なんといってもタクシーだと3000円近くするところを、二人で5円くらいで行けるというんだから、使わない手はないだろう。

このバスは、到着ロビーではなく出発ロビーの方から出るということなんで、出発ロビーの玄関まで移動。到着ロビーの方ではなくて、出発ロビーの方からというのも、目ざとい旅行者の目については困るからそうしたのだろうが、そんな小細工は俺様には通用しない。行ってみると、確かに仕事を終えた雰囲気の空港職員が、迎えの車かバスを待っているような感じで、玄関口のところに立っている。俺たちも、さりげなくその近くでバスを待っていると、1台のバスがやってきた。

運転手に、このバスは、ハバナ旧市街まで行くか聞くと、行かないと言う。しょうがない、次のバスを待つかと次のバスを待つことに。30分くらいして、ようやく次のバスが来たので、また同じことを聞くと、行かないと言われた。しょうがない。もう一度、待ってみるかとまたまた30分以上してから、やっとこさ1台のバスが来たので、行き先を聞こうとバスを止めようとしたら、無視して行かれてしまった。

このとき、時計を見ると9時前。俺達が乗ろうとしてるバスは空港職員の通勤用に走ってるバスなんで、朝の9時くらいまでしか走っていないらしい。ひょっとしたら、さっき無視しておいてったバスが最後だったのかもしれない。2時間近くも待ったのに、結局タクシーに乗るはめになるなんて、あまりにも切なすぎるぞ。そう思いながら、もう1台来ることに賭けて、待つことにした。またしても、30分以上待っただろうか、1台のバスがやってきた!逃げられてはたまらんので、道をふさいで手を振り、バスを止める。運転手に、ハバナ旧市街まで行くバスか尋ねると、行かないという返事が。ガ〜ン!
こんだけ待ったのに、バスで行けねえのかよと思っていると、運転手は、早口のスペイン語なんで何を言ってるかはさっぱり分からなかったが、どうやら近くのバス停まで行くから、そこで乗り換えれば行けるから、とりあえず乗れみたいなことを言っるようだ。

もうこれ以上、ここにいてもしょうがないんで、とりあえず乗ることに。しばらく乗って、終点に近いのだろうか、気がつけば乗っている客は、俺ら2人だけになっていた。運転手が、何やらもうすぐその乗り換え地点に着くからなみたいなことを言ってきた。そうか、それなら降りる準備でもしとくかとリュックを背負っていると、運転手が、いきなり、

「あそこに停まってるあのバスだ!急げ!」

と言ってくる。バスは猛スピードで、そこまで行き、

「そのバスに早く乗れ!」

と言われたので、言われるがままにダッシュでそのバスに乗ろうとしたが、間一髪のところで間に合わなかった。
すると、乗り遅れたバスの後ろに停まっていた回送車らしきバスの運転手が、

「俺のバスに乗れ!」

と言って手招きしてくる。そうかそれならばと、そのバスに飛び乗る。

「前のバスを追ってくれ!頼む!」

「分かったぜ!カルロス!」

そう口に出さずとも、お互い目でそう語りあっていた。真の男同志に言葉など不要なのだ。

バスは猛スピードで乗り過ごしたバスを、後ろからクラクションをバンバン鳴らしながら、追いかけて行く。2キロくらい走って、ようやく追いついて、後ろからパッシングしまっくていたが、まさか追いかけられてるバスのほうも、バスから追いかけられてるとは思ってもいないようで、なかなか停まってくれない。

結局、前のバスがバス停で停車した時に、横づけしてからダッシュでバスを乗り換えて、目的のバスに乗ることができた。

一応、追いかけてくれたバスを降りる時に、運転手に料金はいくら?と聞いたんだが、お金はいいから急げ!と言われたんで、結局代金は払わずに来た。

まったく人のいい運転手だ!ナイスガイだ!俺らのために、自分を犠牲にしたかどうかは知らないが、一旅行者のためにそこまでしてくれるとは。カーチェイスならぬ、バスチェイスなんて日本でやったら、速効クビだろう。下手したら、新聞にも載りかねないぞ。

とまあ、町に出るバス一つ乗るのにも、これだけ苦労するキューバ。旅行早々から、こんな感じなんでいろいろありそうな予感がするぞ!


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2007年8月24日(金)
飛行機が遅れる
よーし!今日からキューバに行くぞ!と喜び勇んで、飛行機が昼の2時半の便だったので、1時前に空港に到着。キューバ国営のクバーナ航空で行くことになってたんで、そのチェックインカウンターへ行こうと、空港のモニター掲示板で、クバーナ航空のチェックインカウンターが何番か見ると、『DELAYED』って書いてある。ああ、出発がちょっと遅れるんやねと軽く考えていた。が、よくモニターを見ると、14:20発の便がすでに21:30の出発に延期されてるじゃないか!いきなり、7時間の遅れかよ!クバーナ航空は、遅れることがよくあるとは聞いていたが、それにしても7時間も遅れたらヒマでしょうがないぞ。

とりあえず、座るとこを確保しようかということでベンチに腰を下ろす。あと、8時間近く何して時間つぶそうかなと考えていた時、ある一つのことが頭をよぎった。何かというと、『海外旅行保険』である。たしか、飛行機の遅延が何時間以上だと、保険がおりるはすだと書いてあったのを思い出した。すかさず、保険の証書を取りだして見てみると、『6時間以上の飛行機の遅延に対して、当保険会社が妥当と認めた経費について、1回2万円を上限として保険金を支払います。』と書いてある。

おお〜!ばっちり今のこの俺たちの状況は、保険金の支払い条件を満たしているじゃないか。高い保険料を払ってきたわけであるからして、こんな時こそきちんと使ってこそ意味があるというわけである。飛行機のベンチに腰かけて、本を読んで寝るだけで、8時間も無駄に時間を潰している必要など微塵もないのである。

そんなことを考えている俺らのベンチの前では、空港の高そうなレストランがあり、お金持ってそうな、間違ってもバックパックで旅行などしなさそうな方々が食事したり、お酒を飲んだりしながら、フライトまでの時間を優雅に過ごしているのが目に入ってきた。今座ってるベンチの椅子よりもあっちのソファーの椅子の方が気持ちよさそうだ。

そういうことで、なんのためらいもなくそのレストランへ。昼飯を食ってなかったんで、昼飯を食うことに。これも飛行機が遅れたからであって、必要経費なんだからしょうがない。飛行機を待ってる間に、餓死するかもしれないからな! ここは、しっかり栄養をつけておかねばなるまい。ということで、まずは嫁さんとビールで乾杯!なんに乾杯かって?飛行機が7時間も遅れて、どん底まで沈みこんだ俺たちの気持ちをアルコールで多少なりとも高揚させようと、そのための乾杯である。つまり、必要にかられてビールを飲んだんであって、これもあくまで必要経費である。しかたがない。

ビールのあとは、サラダ・スープ・メインにデザート・食後のコーヒーと一通りいただく。頼みすぎと思われるかもしれないが、やはりこれも飛行機が飛ぶまでの長い持久戦を考えると、しっかり食べておかねばもたないかもしれない。そういう考えからのオーダーであって、やはり何度も言うが、これも必要経費である。

食事を終え、本を読んだりウトウトとちょっと眠りこんだりして時間をつぶす。19時半になったんで、会計を済ませて出ようと店員に会計を頼むと、ここでちょっとしたトラブルが。店員がレシートを持ってきたら、印字された合計額の下に手書きで料金らしきものが書いてある。「これ何?」って聞くと、「サービス料を含んだ金額です。下の金額でお願いします。」と答えてくる。しかも、料金の20%近い金額である。手書きで後から、書き足されてたのが多少腑に落ちなかったが、保険で降りるしとあまり気にせず支払うことにした。

その時に、領収証が必要だから領収証ちょうだいねというと、にわかに店員の様子が変わってきた。ちょっと待っててくださいと奥に行き、なにやら上の人間を呼んできたようである。英語で丁寧に、なんで領収証が必要なのか聞かれたので、保険会社に後から請求するのに必要だからと答えた。「そうですか、わかりました。」と言うと、すぐに領収証は持ってきてくれた。が、そのあと15分くらいしてから、また俺らのとこにやってきて、「すいませんが、サービス料は最初から値段に込んでありました。先ほどは多くもらいすぎたので、差額はお返しするので領収証のほうは返していただけますか?もちろん、新しい領収証をお渡しするので。」そう言ってきた。おそらく、サービス料だとか言って、その値段のぶんだけ多くもらって、自分たちの財布に入れてるんだろう。空港だから、こんなもんかと思って騙される人間も多いのかもしれない。ただ、俺らが領収書くれって言ったもんだから、後から保険会社の照会かなんかが来て、ばれるかもしれないと思って怖くなったんで、お金返しますとか言ってきたんだと思う。空港の人間がこんなことやってんだから、あきれたもんだ。

とりあえず、ぼられずに済んだことはよしとして、出発の時間も近づいてきたんで、そろそろ行くかと出発予定便のモニターを見てみると、クバーナ航空の出発予定時刻がさらに1時間半遅れの22:50になっていた・・・

ということで、このあとは必要経費ということで、ディナーを食いに行くことにしました(笑)

(ちなみに、このあとも遅れて飛んだのは夜中の1時前だった・・・まじ遅れすぎ)


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2007年8月23日(木)
キューバに行って来るぞ!
明日から、3週間キューバへ行って参ります。初の社会主義国であります。

聞くところによりますと、キューバはネット代がばか高いらしいんで、日記の更新は帰ってからいたします。したがって、3週間音信不通となります。日記が全く更新されてないからといって死んだりしたわけではないですよ。3週間後に無事帰ってくれば日記を更新いたします。

それでは、行って参ります!


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2007年8月22日(水)
ミヤギさん?
今日は、リッチに夕方からディナークルーズに行ってきた。ただ、きれいな夕焼けや夜景を見ながらディナーを楽しむというものではなく、海賊船に見立てた船に乗って、海賊の格好をしたスタッフと共に、いろんなイベントを楽しみながらクルーズするものだ。クルーズの名前も、『キャプテン・フック』で、映画の『パイレーツ・オブ・カリビアン』を真似している。

海賊船なんで、キャプテンがいてこいつのMCを中心に進行していく。そして、なぜか途中から俺に、ミヤギとかいう名前を勝手につけて、何度も俺をいじってきた。

わさびと大声で叫んでくれとか、ビールの早飲みさせられたりとか、ちょっと踊ってくれだとか、とにかくいじられまくりだった。まあ、いじられた方が楽しくていいんだけどね。

いじられたおかげで、船に乗ってる他の客から顔を覚えられ、「オー、ミスター、ミヤギ!」などと言って声をかけられまくった。中には一緒に写真撮ってくれなんて言ってくる人もいて、ちょっとした人気者になっていた。

いじられたおかげで、楽しかったりしたわけだが、でもなんで、ミヤギにしたんやろ?それが、あとになってからすごい気になったのだった。


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2007年8月21日(火)
さんまさん現る!?
今日の昼、宿にオーナーさんの友達という中年のおじさんが遊びにきた。もちろん日本人だ。

底抜けに明るい人で、とにかくよく喋る人だった。昼の1時過ぎに来たと思うが、夜9時に帰るまで一人でしゃべりっぱなしだった。まあ、話も面白くて、若いころは世界中あちこち旅して周ってたらしく、そんな話を面白おかしく聞かせてくれるんで、飽きはしなかったが、驚異のトーク力だった!さんま並によく喋る人だ!

自分は、途中用事があったりしたんで、最初から話してたわけじゃないが、それでも4時間くらいは話を聞いていた。嫁さんに至っては、7時間以上も話を聞いていた。楽しかったけど、さすがに疲れたと後から言っていた。まあ、確かに人の話を7時間もぶっ通しで聞いたら、誰でも疲れるわ。

おじさんのほうはというと、疲れなど見せずに、腹減ったから帰るわと言って、颯爽と帰って行った。それにしても、あのトーク力は半端ない。まさに、さんまさんのメキシコバージョンといったところか。おしゃべり大好きなんだろう。

今日は、トークショーを聞いて、1日が終わったのでした。


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2007年8月20日(月)
拍子ぬけ
でかくてやばいハリケーンが来るぞ!来るぞ!と騒いでいたが、結局カンクンの南にそれて、雨が降ってちょっと風が強かったなあという程度で、何事もなかった。

ハリケーンが、どんだけすごいもんか、内心ではちょっと体験してみたかったんで、ちょっと残念である。非常事態に備えて、食料を買いだめしたりして準備してたのに。拍子ぬけしてしまった。

それにしても、来ないに越したことはないのに、来ないとなるとなんだか寂しい感じがするこの感情はなんなんだろう?


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2007年8月19日(日)
ハリケーン
昨日、宿に戻って、ネットでハリケーンのことを調べてみると、かなりの大型ハリケーンということがわかった。名前は、『ディーン』とか大人しそうかどうかは分からないが、レベル1〜5のうちの5らしく、かなりやばいハリケーンのようだ。

町では、どの店や家も窓を板で覆ってガラスが割れないように準備したり、スーパーに行くと買いだめに来た客でごった返したりしていた。まだ風もなく、空はきれいに晴れているが、なかなかの非常事態なのかもしれない。

島から出るフェリーも昼の2時で終わると聞き、この町から脱出せねばと、荷造りをして1時のフェリーで脱出。カンクンへ戻る途中に遺跡により、夜11時くらいに宿に到着。今回は以前泊まった所とは別の日本人宿に泊まることに。ハリケーンも来ることだし、しばらくここでキューバに行くまでゆっくりすることとしよう。

ハリケーンの被害にあうのは嫌だが、正直ハリケーンがどれくらいすごいもんか体験できるので、ちょっとワクワクしてたりもする。怖いもの見たさってやつですかな。


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2007年8月18日(土)
合宿4日目
ダイブ合宿4日目。

今日ダイブが終わってショップに戻ると、ガイドからハリケーンが近づいてるから、明日は船を出せないから今日でダイブは終了だと言われる。なんだか大型のハリケーンらしく、町中ではハリケーンの襲来に備えて、あちこちでその準備が行われていた。

ハリケーンで船が出ないならしょうがないということで、残金を返してもらい、4日間計8本のダイブ合宿も無事に終了。毎日、規則正しい生活で充実した4日間であった。
カリブの海を十分に堪能できた。


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2007年8月17日(金)
合宿3日目
ダイブ合宿3日目。

毎日7時半に起きて、9時にダイブショップに行くという規則正しい生活を送っている。

今日のダイブは大所帯だった。ガイド1人に客が9人。こんなに多くて大丈夫なんかいって感じだった。

今日もですが、ポイントや魚の説明は、リンク先の嫁さんのブログを見てください。大変良くまとまっていると思われます。

それでは、このへんで。アディオス!アミーゴ!


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2007年8月16日(木)
合宿2日目
ダイブ合宿2日目。

昨日とは違うポイントで2本潜る。コンディションや見られた魚も昨日とだいたい同じだったが、地形がダイナミックで楽しかった。

魚の解説の方は、リンク先の嫁さんのブログでどうぞ。


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2007年8月15日(水)
『拷問、責め苦』
ダイブ合宿1日目。

朝9時にショップに集合。そこからボート乗り場へと移動。コスメルでのダイビングは、すべて国立の海洋公園内でのダイビングなんで、毎日2ドルの入園料を払ってすることになる。ポイントは多く、おそらく30以上はあると思うが、毎回インストラクターがその日良いと思うポイントに連れて行ってくれるようだ。

今日潜ったのは、『トルメントス』と『パライソ』というポイント。魚も多く、カリブ海固有の魚も見れたし楽しかった。

それよりも気になったのが、『トルメントス』という名前。パライソは、英語でいうパラダイスなんで、楽園だとかそいう意味だ。きれいな魚がいる海の中の表現としては、ぴったりだ。だが、トルメントスの方は、辞書で調べてみると、『拷問、責め苦』と書いてある。なんで、こんな名前なんだ?別に特別きつかったとか、海の中で魚にいじめられたとか、ムチやろうそくで責められたなんてこともなかったぞ(あたりまえか)。普通に色とりどりの魚がいて、『拷問、責め苦』なんてものとはほど遠かったはずだ。謎である・・・

このことに気づいたのは、ダイブを終えて宿に戻って来てからだったんで、ガイドに名前の由来を聞くこともできず、宿で悶々と過ごしながら、今この日記を書いている。

気になるな。なんで『拷問、責め苦』なんだ・・・


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2007年8月14日(火)
ダイブ合宿申込
コスメルという島にやってきた。プラヤ・デル・カルメンからフェリーで30分くらいの島だ。


コスメルはメキシコで1番大きい島で、海がきれいなこともあって世界的にも有名なダイブスポットらしい。ということで、潜らねばならぬということで行ってきました!昨日までのダイブは、序章であって本番はこっちなのだ。

街中にはダイブショップがいくつも軒を連ねており、とりあえず片っ端から当たって行った。だいたいどこも1日午前中に2ダイブが基本で、値段もだいたい同じような感じだった。ただ、1日潜ろうが、5日潜ろうが1本当たりの値段は同じというところが多く、潜れば潜るほど安くなるというシステムの店がなかなか見つからなかったんだが、1軒だけパッケージのプランを用意している店があった。5日間10本潜って、機材レンタル込みで290ドル。ほかの店だと、最低でも400ドル以上は取られる値段なんで、確かに安い。安いからスタッフの対応なんか大丈夫かと思っていたが、別に金にガツガツしてたり、対応が雑という感じでもない。ちょうど店にいた、今日ここのショップで潜ってきたという外人の話を聞いても、ちゃんとした店だということだ。

結局、この店で5日間計10ダイブのパッケージを申し込むことにした。5日連チャンで少々ハードだが、まあ、ダイブ合宿に来たと思ってがんばろう。

というこで、明日からダイブ合宿に突入しやす!


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2007年8月13日(月)
海ガメ
昨日に引き続きダイビング。今日は海でのダイビングだったが、初めてドリフトダイビングをやった。ドリフトダイビングとは、ある地点から潜って潮の流れに乗りながらダイビングを楽しみ、別の地点で浮上してくるというダイビングだ。

実際に潜ってみると、けっこう流れがあってどんどん流されていく感じが分かる。流れに乗れる分だけ、フィンを漕がなくていいんで楽だ。途中で、海ガメを何度も見たが、それを見ようとその場に留まろうとするときには、今度は逆に流れに逆らって漕がなくちゃいけないんで、めちゃくちゃ疲れる。ついには、力尽きてまた流されて行くという感じだ。

海自体は、ちょっと濁ってて透明度はいつもほどではなかったようだが、それでも30mくらいはあったようだ。コンディションがよければ、60mくらいあるらしい。魚もいろいろと見たが、やはり1番良かったのは海ガメだな。普段は陸でノロノロ歩いてるイメージのカメが、海の中ではなかなか優雅に泳いでる感じが良かった。相変わらず、泳ぐスピードの方はゆっくりだったけど。

ということで、今日は海ガメに癒されてきました。


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2007年8月12日(日)
セノーテダイブ
セノーテダイブなるものに行ってきた。

セノーテとは何かというと、ガイドブックには次のように書いてある。『石灰岩質の土壌のユカタン半島は、雨水が染み込み地下の空洞に水が溜まった状態になります。その空洞の上が陥没して形成されたのがセノーテという泉です。ここで、ダイビングするのがセノーテダイビングといいます。この地下水脈は、海と繋がっており、海水と淡水が混じるサーモクラインや何年もかけて形成された鍾乳石の大きなつららなどが見られます。』

このように説明がされている。まあ、ようは鍾乳洞に水がたまっていて、そこをダイビングするような感じらしい。

面白そうなんでやってみることにしたが、1年半のブランクがあるんでちょっと心配だった。最初は、海で2本ほど潜って慣らしてからやりたかったが、日曜日はセノーテダイブしか扱ってないということで、最初にセノーテをやることにした。しかも、ガイドも初めて日本人以外のガイドで、当然説明も英語。

ブランクと言葉の壁と少し不安を抱えながらのダイブだったが、実際にやってみると、ガイドも自分たちに分かるように、簡単な英語でしゃべってくれたんで言葉の方は、ほとんど問題なかった。ダイブのほうも、久しぶりでしかも海じゃない場所で初めて潜ったが、特に問題なく潜れた。

セノーテの方はというと、写真がないんで残念だが、本当に鍾乳洞の中を潜っているみたいで、ところどころにつららのようにのびた鍾乳石が無数にあり、神秘的だった。浅いところは淡水だが、深く潜ると底に海水がたまっていて、浮力が変わるのと味が海水なんでしょっぱくなるのが分かった。

今回のセノーテダイブは連続2本で、1本目が終わると水面で浮かんだまま、ガイドにタンクを交換してもらって、別のセノーテ2本目に突入だったので、ほぼ1時間半潜りっぱなしというものだった。ガイドにいたっては、交換の時間がもったいないんで、最初から2本積んで潜っていた。

海以外で潜ったのも初めてだが、日本人以外のガイドだったり、連続2本潜ったりと、初物尽くしの久々のダイブでしたが、無事に終えて楽しむことができました。

明日は、海の方でダイビングしてきます!


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2007年8月11日(土)
高速移動
昨日、バス停でばったり会ったNさんと晩飯を一緒に食べに行った。海沿いの町なんで、今日はちょっとリッチにシーフードなんぞを食べてきた。久しぶりの魚料理は美味かった!

美味しい料理を食べながらNさんと話をしていると、Nさんは看護師をしているということがわかった。やはり、資格のある職業ということもあって、旅行資金がたまっちゃあ、どこかへ旅に出かけているらしい。しかも、看護師にも派遣があるらしく、派遣で何カ月か働いては旅に出てを繰り返しているらしい。看護師にも派遣があるんですな。

ただ、何カ月かでまとまったお金をためるということもあって、働いてきた病院の仕事内容は、相当ハードそうでしたが・・・勤務の9割がたが夜勤だったりすることもあるそうで、平均の睡眠時間も3時間なんてこともあったらしく、研修医よりもハードなんじゃないって思えるほどでございました。

そんなNさんは、女一人で中南米を旅していて、ルートがほとんど自分達と逆なんだが、ブラジルから始めて、ここメキシコまで約10か月かかったらしい。しかも、Nさんは自分でも、「私、高速で移動するんですわ。」と言うくらい移動が速い。夜行バスを乗り継いで、宿代・時間の節約なんて当たり前みたいな人である。そんなNさんが10か月かかった道のりなら、俺たちはいったいどれくらいかかるのだろう?実際、Nさんにもメキシコに3か月以上とかい過ぎだと笑われてしまった・・・

う〜む、メキシコも見どころが多いが、南米もそれ以上に見どころが多い。それにもまして、南米はメキシコよりも遙かにでかい。

ちょっと、ピッチあげるか。でも、来週から3週間もキューバに行くしな・・・やっぱり、俺らに高速移動は無理なようだ。ポレポレでがんばるか。


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2007年8月10日(金)
再開
カンクンから移動。

カンクンでは、3日間、みんなで自炊したり、ビーチに行ったり、毎晩夜中まで飲んだりと、ずっと一緒に遊んでたんで、移動してお別れするのもちょっと寂しかった・・・また、どこかでばったり会えることに期待しよう。

今日、移動してきたのはカンクンからバスで1時間ほどのプラヤ・デル・カルメンというところ。小さな町だが、ビーチリゾートとして観光地化されてて、値段もカンクンより安いんで、欧米人を中心に観光客があふれ返っていた。

バス停に着いて、宿さがしに行って戻ってくると、嫁さんが誰かと話している。誰かと思っていると、カンクンで知り合ったNさんだ。女一人旅で、ブラジルから入って南米を周って、メキシコまで上がってきた人で、自分たちのルートとは逆ということもあって、これから行く国のことなどいろいろと情報を教えてもらった人だ。

自分たちよりも、1日早くここに来たらしく、今日はダイビングをしてきたそうだ。自分たちも、ここで潜ろうと思ってたんで、ポイントやダイブショップのことなど、またしてもいろいろと教えてもらう。あちこち、聞いて回ったりする手間が省けるんで、助かった。ありがとう、Nさん。

それにしても、カンクンを出てこうも早く知り合いと再会するとは。世の中は狭いもんだと感じたものでした。


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2007年8月9日(木)
カリブ海を見て来たぞ!
カンクンは、カリブ海に面しているということで、カリブ海を拝んできました。ヤバいくらいにきれいな海だった!あんなにきれいなコバルトブルーの海は初めて見たぞ。一緒に行ったみんなも、最初見たときは、感嘆の声をあげていた。

『カリブ海』、言葉だけでは聞いていたが、こんなにきれいな海だったとは!手を合わせて拝みたくなるくらいに素晴らしい海だ!

うだうだ書いてもしょうがないんで、あとは写真で。

      

        どこまでも続くコバルトブルー

   

           子供も気持ちよさそう

         

              バンザイ!
          
  

              パラセイリング


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2007年8月8日(水)
キューバ計画
今日は、同じ宿に泊まってるTさんと、宿は違うがオアハカで知り合ったH君と3人で、キューバ行きのチケット探しに行ってきた。カンクンにも、一応HISの支店があるんで行ってみたが、当然のことながら高い。何軒か回ってみたところ、以前メキシコシティーにいる時に教えてもらった店が一番安かったので、そこで購入することにした。改めて、旅先で得られる情報というものは、大事だと実感させられた。

ただ、買うと決めたはいいが、いったいどれくらいの期間行けばいいのだろう?TさんとH君は2週間行くようだ。キューバは、旅行者には物価が高いことや飯がまずいこともあって、だいたい1週間から2週間くらいが、キューバ旅行の平均的な日数のようだ。特に、物がないこともあって、飯のまずさは半端ないらしく、食事に苦労したなんて話も結構聞いたりした。また、2週間あれば十分、というよりそれ以上はちょっときついなんていう人もいた。確かに、キューバに行ったという人で、2週間以上行ってたという人には会ったことがない。

ここは、自分も2人と同じく2週間にしようかと思ったが、メキシコですら3か月経ってもまだ回りきれていない俺らが、果たして2週間で十分かという疑問が湧いてきた。ここはひとつ今一度、じっくりとキューバ旅行の計画を練り直そう、というより何も計画してなかったから計画しようということで、自分だけチケットは買わず、宿に戻り嫁さんと二人で話し合った。そうして行きついた結論は、ずばり3週間!理由は、特にない!なんとなく3週間である。

ということで、8月24日から3週間ほどキューバへ行って参ります!


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2007年8月7日(火)
シェア飯
今日の朝、カンクンに到着。



3か月かかってようやくメキシコの東の果てまでやってきた。メキシコは、予想外にでかく、見どころも多いんで、思いのほか時間がかかってしまった。

ここカンクンにも日本人宿があり、宿代が安いのと、キューバ情報が欲しかったこともあって、迷わずその宿に直行した。

チェックインを済ませて部屋に荷物を運んでると、ドミトリーに見覚えのあるバックが置いてある。どうやら、オアハカで一緒の宿だったTさんが泊まってるようだ。その時は、Tさんはおらず、自分たちの部屋に荷物を運んで一休みしていた。

それから、40〜50分くらいしてからキッチンに行ってみると、買い物を終えたTさんが帰って来ていて、昼食の準備をしていた。「お〜、久しぶりですね〜!」なんて言って少し話していたら、「今昼飯作ってるから、一緒に食べる?」と、なんとも嬉しいお誘いが。しかも、手伝いましょうかと言ったのに、「いいよ、いいよ。それよりも、着いたばっかりだったら、シャワーでも浴びてきたら。」と、すこぶる優しい言葉をかけていただく。

結局、その好意に甘えて、シャワー浴びたり、たまった洗濯をしたりすることができた。そして、洗濯・シャワーが終わると、それを見計らったかのように、昼食が出来上がっていた。キッチンに招かれ行ってみると、具だくさんの野菜スープのパスタが出来上がっていた!肉料理中心のメキシコでは、この上もない御馳走だ!お代わりを2回してしまうくらい美味かった!ありがとう!Tさん!

 

            Tさん特製パスタ

夜は、おかえしにということで、今度は自分たちが豚の生姜焼きを作って、Tさんに御馳走した。

やはり、キッチン付きの日本人宿に泊まると、こんな風にご飯をシェアできるからいい。明日もシェア飯で行くことにしよう。


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2007年8月6日(月)
またしても・・・
今日は、また夜行で移動するんで、それまで観光。

またしても、動物園に行く。こっちに来て、すでに3回目・・・なにやってんだろう。まあ、特にやることなかったから、いいんだけど。


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2007年8月5日(日)
あとの祭り
夜行バスで朝の9時くらいに、ビジャ・エル・モッサという町に到着。



ここは、カンクンに行くために、中継で1泊だけすることにしたんだが、バス停に着いて宿さがしに行ってみると、なかなか宿が見つからない。どこも満室だと断られる。大した見どころもなさそうな町なのに、なんでこんなに満室ばっかりなんだろうと不思議なくらい、行けども行けども満室のとこばかり。

結局、バス停に戻り、1時まで待機してチェックアウトの客が出るまで待って、ようやく宿に泊まることができた。

せっかく夜行に乗って、朝早くについて観光でもしようと思ってたんだが、こんなんなら、もうちょっと遅く着くバスにすりゃよかったな。まあ、あとの祭りだけど・・・


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2007年8月4日(土)
立ち往生
今日の夕方、夜行バスで次の町へ移動していた際、出発して30分くらいして、いきなりドスーンという大きな音とともにバスが斜めに傾いて止まった。

最初、何が起こったか分からなかったが、どうやらバスがスタックしたらしい。下って上る道があって、その下りきったところが、大きな水たまりになっていて、そこに大きな穴があったらしく、その穴にタイヤがはまり込んで動かなくなってしまったのだ。アクセルをふかしても、タイヤは空回りするだけで、動く気配はまったくない。

一応、運転手が電話でバスがスタックして動かない旨を伝えたみたいだが、待てども待てども応援は来ない。アホな運転手は、スタックしたバスと写真を撮ってやがる・・・呑気なもんだ。

結局、1時間半くらいして牽引車がきてようやく、バスは動けるようになった。

それにしても、その間の運転手の行動といったら、携帯で誰かと電話してたり、写真撮ったり、食いもん食ったりと、ラテン気質丸出しだった。

毎度のことながら、呑気なものでした。


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2007年8月3日(金)
眠り病?
最近、バスに乗るとすぐに眠くなる。乗って15分もしないうちに、睡魔が襲ってくる。しかも、平坦な道だけならまだしも、くねくねした山道だろうが、でこぼこの悪路だろうが、おかまいなしに寝てしまう。

今日も、バスが通れない山道を乗合トラックに乗って移動していたが、おかまいなしに寝てしまった。隣の欧米人がよくこんな道で寝れるなと感心していた。

サスの効いていない車の揺れや、デコボコ道での揺れが、どうにも自分には心地良くて、眠くなってしまうのだ。

まあ、二人旅だから大丈夫だが、一人旅だと確実に寝過ごしたりしそうだ。気をつけます・・・


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2007年8月2日(木)
タマゴマン
今日、観光で田舎町に行った際に、のどが渇いたんでペプシコーラを買った。すると、ペットボトルのラベルにスペイン語で、UNA HUEBO GRATIS! と書いてあった。英語で言えば、ONE EGG FREE!である。

へえ〜、卵1個無料か。ペプシに卵付いてくるとか変わってるなとか思ってると、店のオヤジが俺の前に卵のパックを置いたんで、てっきり1個取れってことかと思って、とりあえず1個持って行こうとすると、ノー!ノー!と言われてしまった。どうやら、俺の後ろに並んでたおばちゃんが買っていくものだったらしい。ただ、俺もおっちゃんに、ここに卵無料って書いてあるけどって聞いたら、おっちゃんは爆笑して、これは卵は卵でもおもちゃの卵がもらえるのさと言われてしまった。

確かに、もう一度ペットボトルのラベルをよく見てみると、タマゴマンみたいなキャラクターが載っているではないか・・・

せめて、タマゴマンだけでもゲットして帰りたかったが
、あいにく無いとのことだった。

とんだ大恥をかいてしまった。でも、ペプシに卵の組み合わせとか普通に考えてねえよな。アホでした・・・


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2007年8月1日(水)
無給休暇
今日は、昨日から同じ宿に宿泊している31歳のTさん(男)と一緒に観光に行った。もちろん、日本人である。

この人も、旅行好きでよく旅行にでかけるらしいが、旅にはまったのが社会人になってかららしく、休みをとってはちょこちょこと旅行に出かけるらしい。社会人だから、1週間とかそんな程度の期間の旅行かと思いきや、今回はメキシコ・キューバを回って、2か月くらいの旅行期間らしい。よくそんなに休み取れますねと聞くと、自営業らしく、父親の不動産関係の仕事を手伝っているらしい。なるほど、自営業なら休みも取りやすいだろうが、それでも2か月も仕事休んで大丈夫なんですかと聞くと、給料はもらってなくて、無給休暇という形で旅行に来てるらしい。

毎年、春・夏・冬の3回、無給休暇をとっては1〜2か月の旅をしてるらしい。しかも、面白いことに、自分が転々とあちこち旅行して生活してるから、定住するって概念がないらしく、そんな自分が不動産の仕事して、人に家を売ったりするのに、ちょっと違和感感じたりすることもあるんだよねえ、とか言っていた。さらに、お父さんが引退したら、自分は継がずにお店たたんで、3〜4年旅に出るつもりらしい。

そんなことを、飄々と語ってくれた。

久しぶりに、日本人に会って面白い話も聞けて、良き日でございました。


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