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2007年11月30日(金)
サルサ教室3日目
サルサ教室3日目。

レッスンで習ったことを忘れないようにと、宿のせまい部屋でも二人で練習している今日この頃。ネットでサルサの音楽を引っ張ってきて、音楽までかけちゃってます。上手くなるには練習あるのみということで、サルサの練習頑張りやす。


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2007年11月29日(木)
サルサ教室2日目
サルサ教室2日目。

今日は基本ステップから一歩進んで、ターンをいくつか習った。ターンのステップ自体は大して難しくないが、切れのある動きでやるのがなかなか難しい。先生は簡単そうにやっているが、なかなか同じようにはいかない…

それと、サルサは男が女をリードして踊るんで、次のステップやターンは全て男が考えて踊らなくちゃいけない。正直、こっちが疲れる…まだ慣れてないもんだから、体を動かしつつ頭も使って踊らなくちゃいけないのは、かなりハード。

練習後は体も疲れてるが、それ以上に頭が疲れる。まあ、慣れてないからだろうが、サルサがこんなに頭を使うものとは知らなかった。

ハードなサルサ教室だが、サルサはなまった体と頭のリハビリにはいいのかもしれない…


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2007年11月28日(水)
サルサデビュー
本日より、1日2時間×5日間のサルサ教室がスタート。最初にサルサと聞いた時は、踊りじゃなくてスペイン語のソースを意味するサルサしか連想できなかったというくらい無知な自分が、サルサを習いに行くなど夢にも思っていなかった…

サルサは、完全に男が女をリードしていくダンスなんで、男が下手だと女も上手には踊れない。つまり、俺が上達しなければ、嫁さんも上達しないわけである。二人が上手に踊れるかどうかは、俺の腕にかかっているわけだ。プレッシャーである…

5日間でどこまで踊れるようになるか分からないが、頑張りやす。

ちなみに、今日は基本ステップを学んで参りました。


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2007年11月27日(火)
サルサ教室決定!
今日は、アンティグアの市内観光。最近、村ばかり行って民族衣装しか見てなかったんで、久しぶりに市内観光すると、旅の最初の頃のような新鮮な感じがして不思議だった。普通に、教会を見たり遺跡を見たりしただけなんだが。

思えば、グアテマラに来てからというもの、スペイン語学校を除いては、村村村の連続だったから仕方ないか。

ただ、せっかく都会に来たことだし、ここらで少し目先を変えた観光でもするかということで、明日からサルサ教室に行くことが決まりました!

サルサを極めて、帰国後はサルサ教室でも開くとするか。


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2007年11月26日(月)
サルサ
昨日から、アンティグアという町に来ております。



ここアンティグアの町は、グアテマラ一スペイン語学校が多い町として有名で、実際多くの外国人がこの町でスペイン語を学んでいる。そして、スペイン語以外にもサルサだったりグアテマラ料理教室だったりと、いろんなジャンルの学校があるようだ。

そんななか、嫁さんがサルサに興味があるということで、いくつかのサルサ教室が無料体験レッスンをやっていることもあって、とりあえず今日1軒の学校の体験レッスンなるものに行ってきた。もともと、自分はサルサという名前くらいしか知らず、どんな踊りなのか知りもしなかった。

教室では、アルベルトという大リーグに行った井口似の要するに、濃ゆい顔のラテン兄ちゃんが講師をしていた。やはり、サルサはこういう濃ゆい顔したラテン男に似合う踊りなんだろう。そういう意味では、メキシコでオカマのハートを盗み続けてきたこの俺にも期待できそうなジャンルの踊りなんじゃなかろうか。ふと、そんなことが頭の中をよぎった。

それはいいとして、1時間の無料レッスンでサルサの基本中の基本のステップだけ習っただけなんだが、嫁さんはサルサにはまったようで、俺も意外と楽しいじゃんサルサなんて思ってしまった。こうして、とりあえずサルサ習ってみるかということになり、アンティグアでサルサを習うことにした。

教室の方は他にもあるのと、他の学校でも無料体験レッスンをやってるということなんで、それらを見てから決めることに。

とまあ、こうしてアンティグアではサルサ教室に通うことにいたしました。


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2007年11月25日(日)
やられた!!
やられた!!今日の移動のバスで、荷物を盗られた…盗られたといっても、歯磨き粉・歯ブラシ・シャンプー・石鹸・コンタクト1ヶ月分が入った洗面用具袋だったんで大した被害じゃないが、盗られるとやはり腹が立つ。

グアテマラの移動では、チキンバスといってアメリカの中古のスクールバスを利用している。なぜ、チキンバスというかというと、先住民のインディヘナなんかが、生きたニワトリをバス内に持ち込んで乗ってくるから、その臭いが臭くてたまらないということで、西洋人がチキンバスと付けたらしい。中は2人掛けのシートに3人座らされるんで、ムチャクチャ席もせまい。バスのサスが効いてなかったり、道が悪かったり、さらにはむちゃくちゃとばすんで、ちょっとした遊園地のアトラクション並のスリルが味わえるのが売りのようなバスだ。



         グアテマラのチキンバス

そんなチキンバスで今日も移動してきたわけだが、今日行く路線はグアテマラでも有数のスリが多い路線と言われてる悪名高い路線だった。以前もここで知り合いが3人ほどスリの被害にあっている。そういうこともあって、当然こっちも注意してバスに乗り込んだ。

チキンバスは、日本の長距離バスなんかと違って、大きな荷物は車体の横のトランクスペースじゃなく、そんなもんはないんで車体の屋根に置くようになっている。当然、俺ら二人のでかいバックパック2つも屋根に置いた。もちろん、バックパックには鍵を掛けておいたが、どうしてもリュックの1番上にあるポケットには構造上鍵をかけれない。しかたがないんで、とられても構わないものをと思い、その部分に上に書いた洗面用具の袋を入れていたわけだ。

車内では、財布や、パソコンやカメラの入ったサブバックに注意を払いつつ、車内に怪しいやつはいないか常に注意していた。その甲斐あってか?何も取られずに済んだと思っていたが、実は違った…

宿に着いてシャワーでも浴びるかと思い、石鹸やらを取りだそうとリュックの上の部分を開けてみたら、見事に洗面用具の袋が無くなっている…

犯人は、バスの車掌であることは間違いない。バスの屋根に荷物を積むのも下ろすのも車掌の仕事なんで、俺らのリュックに触れるのはあいつしかいない。屋根の上に荷物があって、俺らから見えないのをいいことに荷物を盗みやがった。車内でのスリには十分に注意を払っていたが、まさか車掌が盗みを働くとは盲点だった。

まあ、そんなところに荷物を入れておいた自分が悪いと言われれば、それまでだが、それにしても腹が立つ!大体あんなもん盗んで何のメリットがあるんだよ!返せや!

現金やカメラ・パソコンなんかじゃなくて全然よかったが、やはり些細な物でも、盗られると無性に腹が立つ。あの車掌め、職権濫用して客から盗み働きやがって。腹立つわぁ。


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2007年11月24日(土)
読書の秋
今日は、特にやることもなく散歩に行った以外は部屋で本を読んで過ごしていた。季節も秋だし、『読書の秋』というわけだ。

こっちでの生活は、当然のことながら日本のテレビ番組や新聞を見れるわけじゃないんで、夜は基本的に日記を書くか、明日の計画を立てるか、本を読むかの3パターンしかやることがない。

そういうこともあってか、こっちに来てからはよく本を読む。旅行者同士や日本人宿で交換してもらったりしながら、日本にいたときよりも確実に多くの本を読んでいるし、またその時間もあるわけだ。日本では、本を読む時間はおろか、睡眠時間を削って働いている同級生には申し訳ないくらいである。

ある意味こんな贅沢な時間が過ごせるのも、旅ならではのことと言えるだろう。ありがたやぁ~。


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2007年11月23日(金)
ケチ!?
次なる町チチカステナンゴへ移動。



最近ラム酒味のアイスにはまってよく食べている。味は、そんなに甘くなくさっぱりしてて美味い。グアテマラ人はアイス好きなのか、かなりの田舎町に行ってもチェーンのアイスクリーム屋があるから、基本的にどこでも食える。

それはさておき、よくアイスを食ってるとそのへんのガキンチョが寄って来て、「アイスを買ってくれ。」とせがまれたりする。こっちは、見ず知らずの子供にいきなりアイス買ってくれなんて言われて、まっ先になんで?って思ってしまう。当然、アイスも買ってやることはないのだが、子供が俺らとは別の客にねだりに行くと、こっちの人はけっこう言われたとおりアイスを買ってあげたりすることが多いんで驚いてしまう。

金銭的な面だけを見れば、グアテマラよりも裕福な日本人が買ってあげないアイスを、グアテマラ人が買ってあげるという現実。俺ってものすごくケチなヤツなんじゃないのかと思わされてしまう。まあ、グアテマラ人もせがまれる度に買ってあげるわけじゃあないだろうが。

でもやはり、日本人の感覚としては、えっ?なんで俺が買ってあげないかんの?と思ってしまう。う~ん、これも宗教というか文化の違いなんだろうか?それとも、単純に俺がケチなだけなんかな?


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2007年11月22日(木)
よく寝た…
午前中に、ホヤバフの朝市へ。といっても、宿の目の前で市があってるんで、移動せずとも宿の窓から全然見られることもあって、窓からカシャカシャと隠し撮り。



      

ここは、女性の黒いウイピルが特徴的で、頭に巻いたシンタも太くて目立ってた。

午後からは、特にやることもなく部屋でゴロゴロと本なぞ読んでるうちに寝てしまい、起きたら夕方…

その後、晩飯食ってまたゴロゴロとしてたら、いつの間にか朝だった…

たまには、こういう日もありだよな…


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2007年11月21日(水)
ホヤバフ
午前中、昨日も行ったマイクの喫茶店に行き、美味しいコーヒーを飲みつつお別れの挨拶をし、ホヤバフへと移動。



途中の道があまりにもデコボコで、バスのサスがしょぼいのと相まって、しゃべると舌を噛みそうだった。しかも途中まで1時間くらいギュウギュウの中を立ち乗りだったしな。さすがに疲れた。おまけに、車掌は運賃ぼってこようとするし…だいたい目の前のおばちゃんが、俺らと一緒の行き先なのに、なんで俺らの方が高い運賃払わないといけないんだよ。グアテマラのバスは、こんな見え見えの状況でもぼってこようとするから困ったもんだ。当然、おばちゃんと同じ料金しか払うつもりはなく、念のためおばちゃんに、「ホヤバフまで、10ケツァール(約160円)今払ったよね?」と確認すると、「知らない。」と言われる…

グアテマラではよくあることだが、乗客に値段を聞いてもまともに教えてくれないことが多い。車掌がぼろうとしてるのを邪魔すると、あとあとそいつが面倒なことになるかららしい。まあ、今回も面倒に巻き込まれたくないおばちゃんは、俺が値段を聞いても知らんふりというわけだ。こういったところが、グアテマラの困ったところだ。とはいえ、おばちゃんと同じ10ケツァールだけ払って、あとは無視してたら、車掌も諦めて何も言ってこなくなった。

こうして、夕方ホヤバフに到着。今日は移動で疲れたし、明日の市に備えて早めに寝ることにしよう。


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2007年11月20日(火)
マイク
パナハッチェルは観光客が多いこともあってか、この町に住んでお店をなんかをやってる外国人も多い。日本人経営の宿もある。ただ、俺らにはちょっと高いんで泊まってない…

そんなパナハッチェルに、アメリカ人が経営する美味しいカフェがあると聞いて行ってきた。コーヒーも手作りのデザートも美味しかったが、それよりもインパクトがあったのが、この店の主人であるマイクという陽気なハイテンションオヤジだ。

彼は昔旅人だったらしく、5年ほどあちこち旅してたらしい。ヒッチハイクでアラスカまで行き、途中からはスキーで北上したと言っていた。アラスカから当時のソ連に入って、スキーでソ連を横断しようとしたらしいが、冷戦真っただ中のその時代に、そんなわけの分からないことを試みるアメリカ人に対して、ソ連がビザを下ろすわけもなく、あえ無く飛行機でソ連を飛び越して、ヨーロッパに入ったらしい。まあ、当然の結果だろう。そしてヨーロッパもヒッチハイクで回ったあとは、今度はアフリカをマラリアなんかで死にかけながら、ヒッチハイクで縦断したらしい。おまけに、その南アで今の奥さんとも知り合って結婚している。基本的に金がなかったんで、移動はだいたいヒッチハイクだと言っていた。『猿岩石』の先がけみたいなおっさんだ。

とまあ、これだけでもけっこう面白い話だが、さらに面白いのは旅行時の彼の持ち物だ。基本的に、歯ブラシとパスポートとお金と、なぜか小型のコーヒーメーカー。

彼はコーヒー好きで、旅をしながら世界各地のコーヒーを味わいつつ、時にはどこかで美味しいコーヒーの入れ方を人から習ったり、逆に人に教えたりしながら、あちこち転々としてたと語ってくれた。

そんな経験や知識がいきて、今こうして美味しいコーヒーが出せるカフェを経営できてるのさ。そう語ってくれた。

最初はジョークばっかり言うただの陽気なおっちゃんかと思っていたが、最後はちょっとかっこいいじゃないかという気にさせられてしまった。

せっかく旅に出たからには、旅の経験や知識を今後の人生に活かす。自分もそうありたいものだと思わされた。



         陽気なおっさんマイク


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2007年11月19日(月)
観光地やな~
ここパナハッチェル周辺の村でも、定期市があってるのでいつものように行ってきた。

サンタ・カタリーナ・パロポとサン・アントニオ・パロポという2つの村だ。青色の民族衣装がきれいな村だ。パナハッチェルから10キロほどしか離れていないこともあって、欧米人のおじいちゃん・おばあちゃんなんかの団体客も多い。

      

      

ただ今まで行った村では、自分たち以外の観光客を見ることはあんまりなかったが、ここでは団体客がどさっと来て、みんなで集合写真を撮ったりしていた。村の人も少々英語を話すし、「こんにちは」だとか、「安いよ!」なんていう日本語も聞かれたりした。今までは、ほぼ中国人というかアジア人を総称(あるいは蔑視も込めてかもしれないが)して、ほとんどチーノと声をかけられて、こっちが、「チーノじゃねえよ!日本人だよ!」と訂正してたのとは、大違いだ。そもそも日本を知らないなんて人も、わんさかいたしな。お土産屋の客引きも、今までにないくらいしつこいし…とにかく今までにない観光地ぶりに、少々とまどってしまった自分だった。


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2007年11月18日(日)
シティーライフ
昨日、昼酒したあと宿に戻る途中で、ケツァルテナンゴ(通称シェラ)の宿で一緒だったO君とばったり遭遇。そして、そのまま2次会?に突入という流れに。そのせいか、少々飲みすぎてしまい、朝なかなか起きれないでいたら、そのまま嫁さんに観光に出かけるのおいていかれてしまいました…

ということで、今日は午前中宿で独りでお留守番…12時前に嫁さんが帰って来て、慌ただしくチェックアウト。今いるサンペドロ・ラ・ラグーナのアティトラン湖を挟んで対岸にあるパナ八ッチェルまで移動だ。といっても、ボートで30分くらい移動するだけだが。



ここは、グアテマラでも1、2を争うくらい観光客が多いところとあって、街中は外国人観光客であふれていた。一番のメイン通りには、お土産屋や観光客向けのバーなんかが、ずらっと軒を連ねており、ちょっとしたリゾート地といった趣だ。グアテマラに来て1か月半経つが、今まで山奥の先住民の村ばかりしか行ってなかったんで、ここが同じグアテマラ?と少々面食らってしまった。

とはいえ、久しぶりの都会的な生活というのも、それはそれでなかなか快適なもんですな。昨日一緒に飲んだO君もパナハッチェルに移動してきていて、偶然宿が一緒で、さらにケツァルテナンゴで一緒だったSさんカップルとも遭遇し、みんなでレストランへ夕飯に行くことに。思えば、ここんとこ汚い安食堂か屋台、それか自炊という生活で、小奇麗なレストランになんか飯食いに行ってなかったな。

こうして、久しぶりに外食らしい外食をし、サービス料10パーセントなどという、ここんとこ縁もゆかりもなかったお金を徴収されはしたものの、久しぶりにシティー・ライフ?を満喫したのであった。


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2007年11月17日(土)
久々のビール
特に予定もなかったんで、今日は朝遅くに起きたあと、サンペドロ・ラ・ラグーナを散策。散策と言っても、小さな町なんで1時間ちょっとでだいたい見て回れてしまう。

歩いて腹も減ったということで、湖畔のレストランに入る。もう今日はやることもないということで、湖を眺めながら昼間からビールを飲みつつ過ごす。しかも、1か月ぶりくらいのお酒である。こんなにお酒を飲まずに過ごしたのも珍しい…ホームステイしたり田舎に行ってたりで、飲む機会がなかったのだ。

そんな1か月ぶりのビールは、この上なく美味かった!


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2007年11月16日(金)
アティトラン湖
とりあえず昨日までで、ウエウエテナンゴ周辺の市見学が終了。ケツァルテナンゴの日本人宿で荷物を預かってもらっていたので、昨日泊まってその荷物を受け取り、次の町へ移動。

今日来たのは、サンペドロ・ラ・ラグーナ。アティトラン湖という世界で一番美しいといわれる湖のほとりにある町だ。





            アティトラン湖

ここは物価も安いし、スペイン語学校が多いこともあって、長期で滞在する観光客も多い。ただ、観光スポットはこれといってない。町を散歩したり、きれいな湖でも眺めながら、ぼーっとして過ごしたりするのが一番良いといった感じのところだ。

最近は、精力的?に動いて市見学ばかりしてたんで、ここで2日間ほどぼーっとして過ごすことにした。


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2007年11月15日(木)
ネバフ
今日の市は、ネバフ。



ここも緑色のシンタ(頭飾り)が特徴的。

      

      

 

以上にて、ネバフより『本日の市レポート』終わります。


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2007年11月14日(水)
タダ帰り
明日が、一番見たいネバフの市がある日なんで、今日は特に予定はなかったが、何もしないのも暇なんで、水曜市が近くの村であってるということで行ってきた。

それにしても、毎日毎日飽きることなく市巡り。グアテマラに来て1か月以上経つが、観光といったら、ほとんど市めぐりしかしてないことに気づいた…他に見るもんないんかいってつっこまれそうやけど、村ごとに違うデザインの民族衣装を見て歩くのも、これはこれでなかなか楽しいものでして、なにとぞお許し下さい。

それはさておき、今日の市は規模自体も小さく民族衣装もそんなに特徴的な感じでなかったんで、さらっと見て帰ることに。ただ、いつものように帰りのミニバスがなかなかつかまらない。バス停で、ガキンチョどもにジャッキー・チェンとからかわれたり、鉛筆買ってくれとせがまれたりしながら待っていた。

しばらく経ってから、ようやくミニバス(トヨタのハイエース)が来たかと思ったら、村の銀行に本店からの書類を届けにきたという銀行員の車だった。

やれやれ、次のミニバスが来るまでまた待つかと待っていたら、さっきの銀行員が書類を届け終わって今から帰るから、乗せてってやると言ってくれるじゃないか。まあ身なりもきちんとしてるし、乗せてもらっても問題なかろうということで、乗せてもらうことに。こうして、またしてもタダで帰ってこれた。

最近、こうやって人に乗せて帰ってもらうことが多いが、なかなかバスがつかまらないんで、ホント助かってます。


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2007年11月13日(火)
ボンボン
いつものように市見学へ。今日は、チャフルという村へ。ここは女性のシンタ(頭飾り)が特徴的で、前後にボンボンみたいな丸いやつが付いている。

      

      

頭のボンボンが、なかなか可愛らしくていい感じだ。

以上、ボンボン村より今日の報告終わります。


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2007年11月12日(月)
ダラダラとネット
今日は、ネバフという村へ移動。けっこうな山奥にある村だ。

今日は移動だけで、市見学は明日からということで、宿でゆっくりすることに。なんと、今日泊まった宿は無線LANがあって、ネットやり放題。こんな山奥の村にある宿でネットができるなんて思ってなかったんで、驚いてしまった。もちろんタダということで、グアテマラの山奥でダラダラとネットばかりして過ごしておりました。


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2007年11月11日(日)
アグアカタンのシンタ
今日も懲りずに市見学。今日は、アグアカタンという村の市だ。ここの特徴は、シンタという女性の頭飾り。



      

赤を基調とした奇麗な頭飾りだ。

      

上の写真にある帯状の長い布を頭に巻いて、ああいった形にするようだ。ちなみに、市で新品のシンタが売ってたが、日本円で1万円くらいとなかなかのお値段。

今までいろいろな村で民族衣装見てきたが、ここのはまた違った感じがして新鮮だった。

あと蛇足ですが、中国人と勘違いされて売られている上戸あやのグッズが売っておりました…まあ、こっちの人は中国人も日本人も一緒みたいな認識だからしょうがないんやけど。こんなグアテマラの山奥でも、人気者の上戸あや。ただ、中国人と間違えられてはいたけど…

      


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2007年11月10日(土)
スタンプをめぐる攻防
今日は、コロテナンゴという村の市に行ってきた。ここはこの辺りでは大きな市で、周辺の村からも人が多く訪れることもあって、いろんな村の民族衣装が見れる。ただ洋服を着ている人もかなりいて、それがちょと残念だったりもするが。

      

ここの民族衣装は、茶系でそんなに派手ではないが、逆にそれが特徴的かも。

ところで、ここコロテナンゴはメキシコとの国境に近く、バスで1時間程のところにある。グアテマラは、90日間以内であればノービザで滞在できるんだが、この90日間というのが、グアテマラ・ホンジュラス・ニカラグア・エルサルバドルの近隣4カ国併せての滞在許可日数となっている。

これからの自分たちの予定を考えると、とても90日以内にこの4カ国を周れそうにない。つまり90日を超えるということで、延長の手続きをしなければならない。そのためには、方法は2通りある。

1つは、首都のグアテマラ・シティーのイミグレーションオフィスまで行って、手数料を払って延長の手続きをする。つまり、有料である。もう一つは、一回メキシコに出て、もう一度グアテマラに入る。これだと、お金がかからない。

グアテマラ・シティーは中南米でも3本の指に入るくらい治安の悪いところらしく、グアテマラ人でも危険だからと言って行きたがらないようなとこらしい。そんな危険地帯に行くのはできれば避けたい。

ということで、一回メキシコに出て、もう一度グアテマラに入るという方法になるわけだが、実はこれも条件があって、もう一度90日間の入国許可のスタンプをもらうには、72時間以上グアテマラを出ていなくちゃならない。つまり、3日間は外のメキシコにいなくちゃならないわけだ。しかし、3日間もメキシコでくすぶっているような時間は俺らにはない!明日も明後日も、見に行く市の予定が、俺らのスケジュール帳には詰まっている(これ本当)。

ここはなんとか、今日中に延長のスタンプをもらおうと国境まで行ってみた。いざとなれば、こっちの男は女にはめちゃくちゃ甘いんで、嫁さんに愛想振りまいてもらってイミグレーションの係官を手なずけ、投げキッスの一つでもプレゼントして、なんだかんだでスタンプをもらってやろうと目論んでいた。

しかし、その目論見はまったくだめだった…係官がおばちゃんだったのだ。おばちゃんに嫁さんが愛想をふりまいたところで、おばちゃんがなびくわけもない…

しからば、男のこの俺がおばちゃんのハートをわしづかみにしてやろうと、飛びきりの笑顔で話しかけたのだが、何の効果もなし…なんとか、スタンプをもらおうと食い下がったが、おばちゃんは笑顔一つなく仏頂面のままである。

「スタンプ欲しけりゃ、72時間後じゃなきゃダメ!」

この一点張りである。

これ以上頑張っても何の効果もなさそうだし、むしろ気味悪がられて不審者として、国外退去にもなりかねないので、愛想振りまくのはやめにした。

このまま帰っては、せっかく来たのに徒労で終わってしまう。とはいえ、このまま帰ってグアテマラ・シティーまで行って手続きするのは避けたい。なんとかならないものかと考え、グアテマラ・シティーで延長手続きするのと同じ金額払うから、ここでスタンプくれと頼んでみた。

すると金を払うというのが効いたのか、スタンプをくれると言うではないか?さっきまであんなにダメだと言っていたくせに、金をやると言った途端に、この手のひらを返したような態度だ。まあ、俺達も無茶なこと頼んでるとはいえ、この豹変ぶりには驚いた。

こうして、係官がおばちゃんだったため、当初予定した愛想振りまき作戦から、お金バラマキ作戦に変更して、なんとかスタンプを押してもらうことができたわれわれでした。


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2007年11月9日(金)
バスがない…
昨日に引き続き、今日も秘境の村へと行ってきた。サンティアゴ・チマルテナンゴという村で、ここの特徴はシンタとうい女性の頭飾りだ。

      



この村の女性は、上の写真のようなシンタという頭飾りをしている。上着のウイピルも赤が基調で綺麗だ。今まで頭飾りをしてる所は少なかったんで、ここのシンタは新鮮だった。

一通り村を見て周り、女性の綺麗な民族衣装も十分に見たんで帰ることに。このとき、まだ昼の12時半くらいである。当然、まだ帰りのバスがあると思ってバス停まで行き、帰りのバスを待つことに。一応、バス停の前の売店で帰りのバスはまだあるかと聞いたら、まだあると言うんで待つことにした。まあ、こんな田舎だし多少は待たされるだろうと覚悟はしていたが、2時間以上待ってもバスは来ない…

この時点で昼の15時半である。もう一度、売店のオバちゃんにバスは来るのかと聞くと、前に聞いた時とは打って変わって弱腰な返事。

「たぶん来ると思うわよ…」

後ろめたそうに目線も遭わせず、そう答えるおばちゃん。

たぶんって…2時間以上待った挙句に、今更そんなこと言われても困るんですけど。

おそらくバスは来ないだろうと判断し、徒歩だとバスが拾えるふもとまでは歩いて3時間くらいかかると考えて、日没までの時間を逆算し歩いて降りることに。正直、風邪気味でもあったんで、歩きたくはなかったけどしょうがない。気合いれて頑張るかと思ってた矢先に、1台の車が近づいたきた。このチャンスを逃してはいけないと思い、必死でその車を止めて、

「下まで行くんだったら俺らも乗せてってくれ、帰るバスがなくて困ってるんだ。」と哀願すると、快く承諾してくれた。

マジで助かった。ありがとう!乗せてくれて!

こうして、麓まで1時間足らずで到着して事なきを得た。昨日に引き続き、地元の人のおかげで帰ってこれたわけだが、それにしてもこっちの最終バスの時間は早すぎるわ。まあ、ここは日本じゃないから、しょうがないっちゃ、しょうがないんやけど。

一応、こっちの時間に合わせて行動してるつもりなんやけど、まだまだその時間感覚に追っつけない自分達でした…


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2007年11月8日(木)
トドス再び
今日は、以前一回訪れたトドス・サントス・クチュマタンという村にもう一度やってきた。この村の民族衣装は、ピエロみたいな感じでかわいくてなかなかいい。

村に到着すると、今日は村の広場で踊りの催し物があってたようで村人がわんさか来てた。みんな踊りに夢中だったこともあって、民族衣装を着た村人の写真が撮り放題だった。

     

            踊りの様子1



            踊りの様子2



            踊りを見る村人1

      

           踊りを見る村人2

踊ってた人たちには申し訳ないが、踊る人よりもそれを見ている村人のほうをよく見てた。やっぱり、ここの衣装はおもしろい。しかも大勢が一堂に集まって、同じ格好をしてる姿はなかなか見ごたえがあった。

ただ秘境の村に来たはいいが、15時頃に帰ろうとしたら、山奥の村だけにこの時間ですでに帰りのバスはないという…どうしようかと思ってたところを、親切なお兄ちゃん二人組が帰りのバスがひろえる大通りまで、車で1時間の道のりをタダで乗っけてってくれた。本当に助かった。二人には、車中しきりにうちの村に泊まっていけと熱烈なラブコールを受けたが、明日の予定もあるので、そこはうまく断ってきた。

トドスでは、何年か前に日本人の団体観光客が人さらいの宗教団体と間違えられて村人に暴行に遭い、観光客の方が亡くなったと聞いていた。そういうこともあって、最初は血の気の多い村人かと思っていたが、実際に行ってみればそんなこともなく、みんな愛想良く自分たちに笑顔で挨拶してくれるし、本当にいい村だった。2度訪れた甲斐もあったというものだ。


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2007年11月7日(水)
半年経ちましたが・・・
ようやくというか、ついにというか3週間以上いたシェラを離れることに。しかも、実は今日で旅に出て半年が経過したことに気づいた。

半年で、メキシコ・キューバ・グアテマラの3カ国。しかも、グアテマラはまだ観光の途中…バカでかい南米が控えてるというのに、まだ中米にいるこの現実。なかなか、思うように旅というのは進まないものだということに遅まきながら気付きました。

少しは急がねばという気になりつつも、今日から1週間ほど、また民族衣装見たさにグアテマラの山奥へと行くのでした…


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2007年11月6日(火)
お好み焼き
今日は、久しぶりに昼飯にお好み焼きを食おうと自炊した。市場に行き、キャベツ・豚肉・イカを買ってきて、タネを作って焼いてみたんだが、なんかお好み焼きの味と違う。とにかく、今まで日本で食ってたお好み焼きと味が違うのだ。なんか、以上に香ばしく仕上がってしまう。

最初は、俺の作り方が悪かったのかなと思っていた。水の量が少なかったかなと思い、水を足して焼いてみたりもしたが、さっきと味は変わらない。何がいけないんだろう?そう思っていたところ、どうやら小麦粉と思って使っていたのが、トウモロコシの粉だったようだ…

こっちは、トウモロコシの粉を練って焼いたトルティージャ(タコスの皮)が主食なんで、当然小麦粉と同じくらい、いやそれ以上にトウモロコシの粉を消費してることもあって、小麦粉以上にトウモロコシ粉が売っている。

今回は、間違ってそのトウモロコシ粉でお好み焼きを作ってしまったから、以上に香ばしいお好み焼きに仕上がってしまったみたいだ…

トウモロコシの粉で作ったお好み焼きは、まずくはないが、やっぱりお好み焼きは小麦粉で作るのが一番美味しい気がいたします…


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2007年11月5日(月)
ホームステイ終了
2週間のホームステイも今日で終わり。人生初のホームステイだったが、家の人達に良くしてもらい気持ちよく過ごせた。

はじめこそ、ドイツ人のハリーポッター似のマヌエル君と心のすれ違いがあったが、今となってはなんでも語りあえる真の友達になれたと、俺の方は勝手に思ってるが、むこうはどう思ってるかは知らない。まあ、なんとも思ってないだろう。

とにかく異国の地で現地の人の家に泊まって、その生活の一部を垣間見れたんでホームステイしてよかったと思う。2週間ありがとうございました。



            最後にみんなで


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2007年11月4日(日)
野菜が恋しい
現在、グアテマラ人の家庭にホームステイしてるんで、こっちの家庭料理を毎日食べてるんだが、こっちの料理は栄養バランスが炭水化物に傾きすぎてる。

ほとんど毎食、ごはんとパンとトルティージャ(タコスの皮)がでてくる。すべて炭水化物。これに、メインのオカズが一品か二品でてくるというのが、こっちの料理のパターンだ。野菜はあんまり出てこない。完全に栄養バランス偏ってるな。

まだ2週間しかホームステイしてないんで、特に不満もなくいただいてるが、この食事内容が毎日続くのは正直ちょっときついと思った。まあ、炭水化物は腹が膨れるてコストパフォーマンスに優れてるから、安くあげるためにこういう食事内容になることは分かるんだけど、グアテマラ人の食事バランスがちょっと心配になってしまった。とはいっても、日本も今となってはコンビニやらファーストフードがあふれていて、あんまりよそのこといえる状況じゃないんやろうけど…

そろそろ、野菜が恋しくなってきた今日この頃。サラダでも食べてえなあ。


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2007年11月3日(土)
グアテマラの国立病院
ひょんないきさつから、宿のオーナーさんのはからいでグアテマラの国立病院を見学に行くことに。見学といっても、オフィシャルなものではなく勝手に病院の中に入って見て回ってきただけなんだけどね。いきなりやって来た日本人が、勝手に病院の中に入って病棟の中をうろうろしてても、何も言われないのが驚きだった。

日本を出て半年になろうとしているが、半年前にピークだった俺の知識も今となっては何割くらい記憶に留まってるやろか?恐ろしいくらいに忘れてるんやろな…


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2007年11月2日(金)
スペイン語学校終了
今日で、2週間のスペイン語学校も終了。毎日マンツーマンで4時間の授業+たっぷりの宿題で、少々ハードだったけど、やる前よりはだいぶスペイン語がましになったんで、やって良かったと思う。とりあえず、旅行会話オンリーという状態からは脱却できたんで、あとは習ったことを駆使して地道に練習していくとするか。

スペイン語学校も終わったんで、当然のことながら今日はパーッと飲みに行く予定にしてたんだが、2人とも最近の観光+スペイン語学校の疲れで少々風邪気味ということもあって、飲みにも行かず宿でおとなしくすることに。2週間ぶりのビールを飲みたかったんだけど、飲みに行く元気もないくらい疲れてた…まあ、そんなになるまで頑張ってたというところかな。


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2007年11月1日(木)
死者の日
11月1日はグアテマラでは『死者の日』といって、まあ日本のお盆みたいなもんで、要するに御先祖様を供養する日だ。

グアテマラでは、この日はお墓に行って凧を揚げるのが習慣になってるようで、凧を揚げることで少しでも天に近づけるからそうしているらしい。なるほど、天高く凧を揚げて、少しでも御先祖様のいる天に近づこうなんて、ちょっといい話じゃないか。きっと、みんな御先祖様のことを思って神妙な顔して凧を揚げてることだろう。

そう思って、グアテマラでも一番この日に凧が揚がるというお墓まで、遠路はるばる片道4時間弱かけて見にいってきた。

こっちも、お墓ということで浮ついた気持ちで行っては、死者に対する冒とくだと思い、神妙な面持ちで会場へと向かう。会場のすぐ手前まで来ると、確かに凧がたくさん揚がっていた。どの凧も天の御先祖様のことを思って揚げられた神聖な凧である。青空に高々と揚がった凧を見ていると、死んだ爺ちゃんや婆ちゃんの顔が浮かんできて、思わずこぼれそうになる涙をぐっとこらえた。ますます神妙な気持ちになり、いよいよお墓の中に入ることに。

入ってみると、みんな神妙な顔して凧を揚げているかと思いきや、酒飲んだりしながらドンチャン騒ぎといった有様。みんなお墓の上に腰かけて、ピクニックみたいに飲み食いしてる。凧を揚げる時なんか、人の墓を踏み散らしながら走ってるし、神妙そうなやつは誰一人いない。日本でいったら、酔っ払って人の墓石を踏み倒してまわってるようなもんだ。

人の墓を平気で踏み歩いて行くのは、最初ちょっとびっくりはしたが、まあこれがグアテマラ流の先祖供養なんでしょう。

凧揚げ自体は、大小様々な色とりどりの凧が揚がってて楽しかった。



         こんな大凧も揚がってた



         なぜか日本の旗(一番上)



          お墓でくつろぐ人々

ちなみに、このお祭り?には外人観光客もたくさん来てて、日本人もけっこう見に来ていた。しかも、その半分くらいが知り合いだったりして。そして、そのうちの3人がスリに遭っていた…人が集まる所に犯罪は付きものとはいうが、3人も遭うとは恐るべき確率だ。自分たちも、いつスリに遭うとも限らないなと思わされた。気をつけねば。

このように、最初思ってたのとは違って、グアテマラの『死者の日』は神妙な感じではなく、お墓で楽しく先祖供養しようというものだった。各国いろんな先祖供養の仕方があるもんだと思わされた一日だった。


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