2008年10月31日(金)
ギアナ3国の旅、終了!
朝、バスの中で目が覚めるとバスがジャングルのど真ん中で停車中。

隣で起きてた嫁さんに聞いたら、橋が壊れて前に進めないらしい。一応、復旧作業はされているので、通過できるようになるまで待つしかあるまい。待つのには、この旅に出てもう慣れているから問題ない。

2時間くらい待っただろうか?ようやく橋も復旧。というより、板を並べて応急処置を施しただけといったほうが正しいだろうか。

     

さすがに、この心もとない臨時補修の橋を渡る時は、乗客は全員降ろされ徒歩で橋を渡ることとなった。

その後は快調にバスも進み、途中一回休憩をはさんで、無事にガイアナ側の国境レセムに到着。

    

イミグレでの出国審査もスムーズに終わり、バスが一緒だった日本人(以下、M君)とブラジル人のおっちゃんと俺ら2人の4人で、乗合タクシーで船着き場まで行きボートで川を渡る。

 

1人5レアル(約250円)で値段交渉してから、もう一度乗合タクシーに乗って、今度はブラジル側のイミグレへ。

ブラジル側の係官はきっちりしていたため、俺ら日本人の入国審査に時間がかかってしまう。でも、これに関しては俺らが悪いわけじゃあない。

それなのに、タクシーの運転手が待たされたことにイライラしたようで、こんなに時間がかかったんじゃあ、1人10レアルだななどとブツクサ言っていた。まあ、俺らが悪いわけじゃあないんだからと無視を決め込む。

ボンフィンのバスターミナルに到着し、事前に交渉していた1人5レアルという金額を運転手に払う。しかし、運転手が今度はあからさまに、時間がかかったから1人10レアル払えと言ってくる。

アホかと思いながら、トランクに入れた荷物を取りだそうと蓋をあけたら、なぜかモクモクと煙が?

なんだ?なんだ?とバックを取り出してみると、嫁さんのバックが一部焦げて穴が開いている。

 

たぶん、車のトランクにある配線がむき出しになっていて、それにパックセーフ(盗難防止用のリュックを覆うワイヤー)が触れ、それで通電してリュックが焦げたらしい。

ぼったくり運転手が、何事かと焦げた部分のパックセーフに触れたら、熱っとか言って軽く火傷しやがったみたいだ。ざまあみろ。

こっちは、旅の友、なくてはならないバックパックを焦がされて、正直なところ弁償させたいところでもあったが、まあ、そんあことを要求しても無駄なことも分かっている。とりあえず、払うべき料金も払ったわけだし、この憎き運転手にはすぐにでもお引き取り願いたかった。

まあ、向こうもこっちのバックを焦がした手前、そそくさととんずらを決め込むだろうと思っていた。

が、運転手から予想だにしない言葉を浴びせられる。

お前らのせいで、火傷したから10レアル払えと。

はぁ?何を言っとるんじゃあ、このボケ!

こっちが、バックの弁償代払ってほしいくらいなのに、俺らのせいで火傷したから金払えとはなにごとだ、コラ!

それならばと、こっちもバックの弁償代金として200ドル払え!

と言ってやったら、今度は、火傷の治療代払えなどとぬかしてきやがった。

こんな押し問答を繰り返しているうちに、こっちもヒートアップしてしまい、しまいには同乗のM君とブラジル人のおっちゃんが間に入って、俺ら二人をなだめる始末。

結局、運転手が最初に約束した金額をもらって帰って行き、この騒動にも決着がついた。

それにしても、あの運転手め、人のいいブラジル人らしからぬ人の悪さだったな。

しばらくは、まだイライラしていたが、ボア・ビスタ行きの快適なブラジルのバスに乗っていたら、イライラも消え落着きを取り戻していた。

そして、ほとんどリクライニングの効かなかったガイアナのバスと違って、130度くらいリクライニングするブラジルのバスの中で、今回のギアナ3国の旅を振り返る。

最後は、ちょっとひどい目にはあったが、いろんな意味でおもしろかった、そして、美味しかったギアナ3国。正直、行こうかどうか迷ったこともあったが、今は行ってよかったと思う。といっても、観光というよりも、基本的には食ってばかりではあったけど(笑)。

というわけで、南米の未知の国・ギアナ3国の旅も今日で終了!


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2008年10月30日(木)
さらば、ガイアナ!
ガイアナの首都ジョージタウンは、見どころもそんにないし、飯も美味いわけではないんで、1泊で充分と思い、今日の夜行バスでブラジルへ行くことに。

バスは夜だから、それまで時間もあるので市内散策へ出かけた。

 

             中央市場

一番の繁華街。人も多くにぎわっていた。

      

 

      

イギリスの影響だか知らないが、街にはそれなりにきれいな建物もある。

 

ただ仏領ギアナやスリナムと違って、ガイアナは貧しいせいか乞食も多かった。

市内散策も3時間くらいで終わり、そのあとはクーラーが効いて、WIFIの飛んでいる、おそらくジョージタウンの高級カフェで夕暮まで暇つぶし。

カフェで閉店ギリギリまで粘り、今日はパソコン、カメラも持っているので、宿まで1ブロックだったが、周囲への警戒をいつも以上にしつつ宿へ帰還。

親切なブラジル人の宿のオーナーが、バスの時間まで部屋を使っていいと言ってくれていたんで、ありがたくバスの時間まで使わせてもらう。バスもここの宿から出発なんで、バス停まで行く手間もないし、夜にバス停まで移動しなくていいんで安全でいい。

そういえば、バスに乗る時に日本人の男の人が1人いた。こんなところで日本人旅行者に遭遇するなんて思ってもみなかったんで、ちょっと驚いた。

彼も自分たちと同じく、これからブラジルに抜けてベネズエラに行くらしい。そんな話をしていたら、バスの出発の時間となり、21時にブラジル国境に向けてバスは出発。

最初こそ舗装道路だったが、すぐに未舗装のガタガタ道に変わった。このへんのインフラ整備の悪さは、アフリカ譲りなんだろう。

そして、今回のバスは珍しく乗る前に、乗客の荷物の重量を計っていた。それも、車体横に入れる預け荷物だけじゃなく、水とかまで含めた手荷物まで全部。

それで一人23キロまでという重量制限。荷物の多い俺らが、それでおさまるわけがなく、当然超過料金を払う羽目になった。

こんなボロバス使ってるくせに、飛行機みたいなことして金をふんだくるとはな。やはり、この商魂逞しいところはインド人譲りなんだろう。

とまあ、良くも悪くも、最後まで期待通りインド気分・アフリカ気分を味あわせてくれたガイアナをあとにするのであった。

さらば、ガイアナ!


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2008年10月29日(水)
ガイアナ
朝5時、ガイアナ行きの乗合ワゴンが宿にお出迎え。

まだ真っ暗な星空の下、国境を目指してひた走る。

9時ころ、スリナム側の国境ニュー・ニッケリー到着。

  

出国手続きを済ませ、国境越えのフェリーに乗り換える。

 

 

川の向こうには、ギアナ3国最後の国ガイアナが待っている。ガイアナはかつてイギリスの植民地だったと聞く。そして、その人種構成だがインド系が50%、アフリカ系が36%、その他少数とガイドブックには書いてある。

インド系とアフリカ系の国。行ってみたいようで、行ってみたくないような、でもなんかちょっぴり期待に胸を膨らませている自分(笑)。

30分ほどで対岸のスプリングランドに到着。イミグレで入国スタンプをもらい外に出ると、鬱陶しい乗合ワゴンの客引きがわんさかといる。

 

しかも全員黒人。ゲートをくぐると、俺の車に乗って行けと強引に荷物を取ろうとする。なんとか群がる客引きをかわし、1台のワゴンに乗り込む。もちろん、客が満員になるまで出発しないので、しばし待たされる。

この強引さと、客が満員になるまで出発しないというスタイル。なるほど、確かにここはアフリカだ(笑)。

ようやく客も集まり、ガイアナの首都ジョージタウンに向け出発。

    

 

のどかな南国風景の中を車は走って行く。

 

ガイアナにはやたらと野良牛が多い。

そして、道の両側に並ぶ家々には、ところどころ庭にヒンドゥー教のものと思われるプチ・ヒンドゥー寺院があったりもする。

野良牛に、ヒンドゥー寺院。確かに、ここはインドだ(笑)。

アフリカンでインドチックな雰囲気に包まれつつ、途中一回川を渡って、15時くらいにジョージタウンに到着。

ジョージタウンは治安が相当悪いと聞いていたが、注意していれば問題はなさそうといった印象。

それよりも、街灯が少ないので、夜黒人が歩いていても近くまで来ないと分からない。いきなり、ヌッと自分の前を黒人が横切ったりすることがあるんで、むしろそれがびっくりして怖い(笑)。これも、アフリカ系が多いから仕方あるまい。

そして、飯がカレーばっかりしかない。これも、インド系が多いから仕方あるまい。

そんなアフリカとインドのムード漂う楽しげな国?ガイアナ。あなたも来てみたくたくなったんじゃ!?


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2008年10月28日(火)
カオスな国
料理だけみても、その人種のるつぼっぷりが垣間見えるスリナムだが、料理だけでなくとも、その街並みからもその様子が窺える。

     

まずは、ムスリムのモスク。

その隣には、こんな建物が。

 

 

ダビデの星からも分かるように、ユダヤ教の礼拝堂。モスクと隣り合ってるところが、なんとも言えないが…

 

これは中国系のお寺。

     

スリナムの宗主国はオランダなんで、もちろん、クリスチャンもいるから教会もある。改修工事中でよく見えないけど。

インド系も多いから、ヒンドゥー教の寺院もあったが、それよりもインパクトのあるものがあった。それはというと、

      

インド建国の父とも呼ばれるこのお方。そうガンジーだ。なんと、この像が町のど真ん中のロータリーにあったのには驚いた。

南米のカオス・カントリー、スリナム。4日間と決して長い滞在ではなかったが、見て、食べて楽しい国だった。


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2008年10月27日(月)
食のスリナム
今日の朝食は、インドネシア料理。インドネシア料理の代名詞的な存在、ナシゴレンとミーゴレン。

 

焼きそばもご飯も美味いが、上にのったテリヤキチキンが最高に美味い。南米にいながらにして、インドネシア気分が味わえる一品だ。

目を閉じれば、バリ島のビーチが脳裏によみがえる。あ!でも俺バリ島行ったことなかったっけ(笑)。

昼食はインド料理。チキンのロティーを食べる。

 

インド人経営なだけあって、本格派インドカレーが楽しめる。ちなみに、ロティーとは皿の左にある白いやつ。もっちりしたクレープみたいな感じだ。これをカレーにつけて食う。これも美味かった。南米にいながらにして、インド気分が味わえる一品だ。

ここでも目を閉じれば、インド中どこにでもいた、旅行者目当ての胡散臭いインド人の顔が脳裏によみがえる。そういえば、コルカタのサダルストリートにいた、インド人なのにサトシと名乗っていた日本語ペラペラの彼は元気にしているだろうか?

そして、今日最後の食事の夕食。流れからいけば、当然中華というところだろう。しかし、昼に食ったロティーが気に入ってしまい、昼に引き続きロティーを食べる。

さすがに2食続けてのインド料理ということで、今回は、インドの思い出に感慨深く耽るということはなかったが。

それにしても、スリナムに来てから、中華、インドネシア、インド料理と食ったが、どれもはずれがなく美味しかった。

食のスリナムとはよく言ったものだ。


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2008年10月26日(日)
中華三昧
ギアナ3国の真ん中の国スリナム。ここはかつてオランダの植民地だったという国。

そんなスリナムのパラマリボについて、ガイドブックのロンプラにはこう書いてある。

「この国のご飯は美味しいから、できるだけたくさん食べなさい。」

スリナムは人種構成が多様で、インド系が約4割、インドネシア系が約1.5割となかでもアジア系人種の割合がかなり高い。割合は知らないが、もちろん中国人も多い。

そのせいもあって、街にはインド料理屋、インドネシア料理屋、中華料理屋が多い。

そんなグルメな国スリナム。昨日の夜は、ロンプラに南米一美味い餃子が食べられると書かれた中華料理屋に行ってきた。

 

確かに、この餃子美味かった。南米一かは分からないが、ハイクオリティーな餃子だったことは間違いない。もちろん他のメニューも、日本人好みの味付けでどれも美味い。

そして今日はというと、またしても中華だが、日曜限定という中華ビュッフェを朝昼兼用で食べてきた。なんと昨日行った中華料理屋とオーナーが同じということで、味は問題なし。ビュッフェなぶん、いろんなものが一度に食べられてよかった。

夕飯はインド料理を食べに行こうとしたが、日曜で早く閉まってしまったようで、昨日と同じ中華料理屋にまた行ってしまった。こんなに中華ばっかり食って、アホかと思われそうだが、だってホントに美味いんだからしょうがない。

こんな感じで、昨日から全食中華というバカッぷり。

明日は中華じゃなく、インド料理、インドネシア料理に挑戦だ!


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2008年10月25日(土)
スリナム入国
2日間と短い仏領ギアナでの滞在だったが、物価も高く長居もしていられないので、次なる国スリナムを目指す。

まずは、乗合ワゴンで国境の町サンローラン・ドゥ・マロニーへ。

   

乗合ワゴンは定刻発ではなく、乗客が満員になったら出発というスタイル。このへんは、先進国フランススタイルといよりも途上国スタイル。

しかし、運がいいことに乗客もすぐに集り国境へ向け出発。

カイエンヌへ来たときと同様、ここでも途中検問があった。今回は、何故か夫婦なのに、俺のリュックだけ中身を簡単にだが調べられた。なんで俺だけ…

でも、同乗のスリナム人の女性はスーツケースをひっくり返され、服とかまで念入りに調べられていたので、それに比べれば全然マシだったのかもしれない。

きれいな舗装道路を快調に飛ばし、3時間ほどでサンローラン・ドゥ・マロニーに到着。

イミグレ前で降ろしてもらい、そこで出国スタンプをもらって、いざスリナムへ。

今回の国境越えも、川をボートで渡らなければいけない。

しかし、この国境については乗合ボートの客引きが強引でしつこいと悪名高いことで有名。とにかく、自分のボートに乗れ乗れと強引に手を引いて連れて行こうとしたり、荷物を勝手にボートに積んだり、なかには勝手に荷物を積んでそのまま立ち去る泥棒までいると聞いている。

ここは気を引き締めてかからねばと、気合十分で国境越えに挑む。

が、実際はというと、今日が土曜日だからか客引きが一人しかいない。

     

    嫁さんの荷物を運ぶ客引きの兄ちゃん

 

           対岸がスリナム

客引き一人だけということで、足元を見てボッてくるということもなく、いたってスムーズにスリナム側の町アルビーナに到着。あんだけ気合入れてたのに、ちょっと拍子抜け(笑)。

  

アルビーナからは、乗合タクシーで首都パラマリボを目指す。乗合タクシーは、カイエンヌからの乗合ワゴンで一緒だったフランス人親子とシェア。

一応舗装はされてはいるもののボコボコの道をひた走り、15時ころ首都パラマリボに到着。

宿は、ブラジルでKちゃんに聞いていた宿に行ってみるも満室。それならばと、嫁さんをそこの宿に残して、もうひとつのIさんから聞いていた宿に行ってみるが、こっちは今日はよくても明日が満室でダメと言われる。他にも、ガイドブックに載っている宿を当たってみたが、満室だったり値段が高すぎたりで見つからず。

結局、最初の宿に戻って、どっかいい宿知らないかと尋ねたら、ちょっと町はずれになるが、知りあいの宿があるからとそこを紹介してもらった。

値段も、他の宿がエアコンなしのドミで1人10〜15ユーロするところ、エアコン付きの個室で2人で15ユーロとお手頃。部屋も普通にきれいだし、迷わずチェックイン。

スリナムは治安もよさそうだし、飯も美味いと聞いているので、ちょっとだけゆっくりしてみるかな。


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2008年10月24日(金)
世界一美味いマック!?
朝起きて、朝飯食べに市場に行ってみた。

フランスは、かつてベトナムの宗主国だったということもあってか、市場の中にはベトナム料理のフォー屋がたくさんある。そのうちの何軒かは、本場ベトナム人がやっていた。

迷うことなくベトナム人がいる店に入り、フォーを注文。ベトナムに行ったこともなけりゃ、本場のフォーも食ったことないのに、まさかそれを南米で食うことになるとは。

 

魚醤(ニョクマム)の香りが、アジアな気分をかき立てる。そして、うどんを食ってるみたいでなんだか懐かしい味がした。

宿にいる朝の弱い嫁さんの分は、持ち帰りにしてもらった。

ところで、仏領ギアナに来てから確かめてみたかったことがあった。それは、どこぞやの宿の情報ノートに書かれていた、仏領ギアナのマクドナルドは世界一美味しいから、行った人はぜひご賞味あれというもの。

なるほど、フランスのマックなら、まずパンからして違って、使われている肉もちょっと違うかもしれない。それなら世界一美味いマックが、ここにあってもおかしくはないなどと、期待に胸を膨らませる。

そして、その真相を確かめるべく、町はずれにあるマックまで足を運んでみた。そこで、最安の6.85ユーロ(約820円)のセットを二人でワンセットだけ注文。

そして、世界一美味いと言われるマックのお味はどうだったかというと、

いつもとあまり変わらないお味なんじゃ…

悲しいが、別に普通のいつものマックだった。

値段が高いから、いつもと違って美味いと思いこみたいだけなんじゃなかろうか?

今でも十分値段高いし、2か月前だったら、マックのセットが最安で1200円近くしていたわけだから、そう思いたくなるのも無理はないかもしれない。

こうして仏領ギアナでの最重要ミッション、『世界一美味いマックを食う。』その結末は、いつもと変わらない普通のマックの味だった…


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2008年10月23日(木)
おフランスに入国
まだ夜も明けきらない5時過ぎに、バスはオイアポケに到着。明るくなるまで、ターミナルで待機。

今日で一旦、ブラジルともお別れ。次に行く国はというと、おフランスざんす。正確には、仏領ギアナ。

実は、俺も南米に来るまで知らなかったが、仏領ギアナはフランスの海外県。そして、南米に残された唯一の植民地。

といっても、南米旅行者で仏領ギアナを含めギアナ3国を旅する人は一握り。行くのが面倒なのと、物価が高いので、ほとんどの人が行かない。特に、仏領ギアナなんか物資のほとんどを本国フランスから輸入してるから、フランスを旅するより高くつくなんて話も耳にする。

そんな南米旅行者に敬遠されがちなギアナ3国。でも、せっかくだし行ってみたい。南米っぽくない南米を味わってみたい。ということで、もの好きにも来てしまった。

     

8時過ぎにブラジルの出国をすませ、仏領ギアナを目指す。国境は川で隔てられているので、ボートで国境越え。

こうして、仏領ギアナ側の町サン・ジョルジュに到着。

   

ここで乗合ワゴンに乗り換え、首都ではなく県庁所在地のカイエンヌへ向け出発。たった3時間の移動で40ユーロ(約4800円)と、物価の高いブラジルがチープに思えてくるお値段。早くも、ここがヨーロッパだと実感。

カイエンヌまでの途中の道は、ずっと両サイドに鬱蒼とジャングルが茂るワイルドな世界。かつてこの地が、囚人の流刑地として利用され、『緑の地獄』と呼ばれていたのもうなずける。

でも、さすがここはフランス。車道に関しては、きれいな舗装道路がジャングルをぶち抜いて走っているので快適、快適。

厳しいと聞いていた途中の検問も、楽勝でパス。

こうして、3時間くらいでカイエンヌに到着。

宿は、旅仲間のIさんから聞いていた宿にチェックイン。1泊55ユーロ(約6600円)。今回の旅の最高値の宿。でも、2か月くらい前までは1ユーロ170円くらいしてたことを考えれば、今は1ユーロ120円なんで安いのかもしれない。なんといっても、ここはフランスだし(笑)。

宿に荷物を置いて、街へとおでかけ。街中を歩いている人は、白人よりも黒人の方が圧倒的に多い。あと、気になったのが、やたら中国人が多いこと。世界中どこにでも中国人がいるのは分っているが、ここはその中国人率が異様に高かった。そのうち、中領ギアナになるんじゃなかろうか!?

しかも、その中国人が流暢にフランス語を話しているのに、むちゃくちゃ違和感を感じた。中国人に、ボン・ジュールとか言われても、なんかピンとこない(笑)。

フランスということで、もちろんフランスパンも普通に売っている。

 

これは、昼に食ったフランスパンのサンドイッチ。マジ美味かった。フランス行った人がフランスパンは美味い、美味いと言うが、ホント美味しかった。

美味いフランスパンと、鼻声でフランス語を話す人々。そして、その物価の高さ。やはり、ここはフランスなんだと実感した今日一日だった。

ただ、中国人が多いのだけはちょっと気になるが(笑)。


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2008年10月22日(水)
赤道の町マカパ
太陽も昇り、アマゾン河との別れを名残惜しみつつ、朝7時に下船。市バスに乗って、港からマカパのバスターミナルへ。

そこで夕方のオイアポケ行きの夜行バスのチケットを購入。

 

体調不良の嫁さんは、しばしターミナルのベンチで仮眠。しばらくしたら体調もよくなったようで、荷物をターミナルで預けてから、赤道記念館に行ってみた。

そう、ここマカパは赤道が通っているのだ。だからなにと言われれば、まあそれまでだが。

確かに、マカパの赤道記念館はただ記念碑があるだけで、あとは赤道に来たという証明書がもらえるくらい。記念館には俺らしかいなかったし、なんか赤道に来たぁ〜っていう実感はあんまり湧かなかった。エクアドルで赤道に行った時は、赤道ならではの実験とか見せてもらえたんで、なおさらだったのかも。

      

            赤道記念碑

 

             緯度0度

バスターミナルに戻り、夜行バスに乗ってオイアポケへ出発。ブラジルにしては、あり得ないくらいのボロバスだった。といっても、これがボリビアのバスだったら、まあそれなりのバスといったレベルだけど。

道もブラジル初の未舗装。ブラジルもこの辺まで来ると、まだこんな感じのところが残っている。

バスは、ジャングルを切り開いた一本道を進んでいく。街灯もないんで、星がめちゃくちゃきれいだった。

しばらく星空に見とれていたら、いつの間にか眠りに落ちていた。


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2008年10月21日(火)
河下り最終日
 

アマゾン河下りも、河口に近づいてきて川幅もだいぶ広くなってきた。対岸がかなり遠くに見える。

基本的には暇なこの船旅。やることといえば、部屋でパソコンしたり、本読んだり、たまに屋上に行ってビール飲みながら河をボーッと眺めたり。

 

屋上の売店には、テレビがあるんでテレビを見る人も。暑いんで、みなさん日陰に避難中。でも、夜になって暑さも和らぐと、ここもディスコに変身。サンバのリズムに合わせて、ビール飲みながら踊る人がたくさん。

暇なこともあって、食事の時間になるとみんな待ってましたとばかりに食堂になだれ込んでくる。といっても、食堂の椅子とテーブルには限りがあるんで、けっこう待たされる。

しかも、子供・老人・女性優先なんで、早くいったところで俺なんか結局最後の方にまわされてしまう。

 

今回の船はキッチンもそれなりに立派で、前回の船も食事は美味しかったが、今回はさらに美味しかった。

 

こうして、夜中の2時ころ船はマカパの港に到着。前回と同様、夜明けまで船で待機。

合計4泊のアマゾン河下りもこれにて終了。特に何をしったってわけじゃあないが、雄大なアマゾンの自然を体で感じながらのこの移動は、今までの移動の中で一番思い出深い移動だった。


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2008年10月20日(月)
アマゾンのビーチ
昨日の雨から打って変わって、今日は快晴。

ということで、昨日行けなかったアマゾンのビーチリゾート、アウテール・ド・ションまで行ってみた。

アマゾンにビーチとはピンとこないが、行ってみると、綺麗な白い砂のビーチが広がっていた。もちろん、ビーチのむこうに見えるのは海ではなくて、アマゾン河。ビーチといえば、海にあるものと思っていただけに、なんだか不思議な感じだ。

 

 

 

今日は平日ということもあって、人はほとんどいなかったが、そのぶん逆にのんびりできてよかった。

暑い日差しのもと、ビーチパラソルの下でキンキンに冷えたビールののど越しがたまらない。

ビーチには軽く足だけ突っ込んだ程度で、あとは、ただボーッとビーチを眺めながら、まったりとビールを飲んでいた。

ほろ酔い気分でビーチをあとにし、サンタレン行きのバスに乗り込む。それから宿に預けていた荷物を受け取り、夕方6時発のマカパ行きの船に乗るために、船着き場へと移動。

 

今回も前回と同様、2泊かけてのサンタレンからマカパへの船旅。

もちろん、今回も利用するのは個室のカマロッチ。値段も前回と一緒で350レアル(約20000円)。ただ、今回は3食付きなのと、船が前のと比べるとデカいぶん快適。

 

         今回利用した、LUAN号

定刻より1時間ほど遅れた19時ころに、サンタレンの港を出港。

昼間ビールを飲んだにもかかわらず、屋上のデッキでジャングルに沈む夕日を見ながら、またもビールで乾杯。

きれいな景色を見ながら飲むビール。幸せを感じる瞬間。

だから、お酒はやめられない!?


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2008年10月19日(日)
豪華クルーズ船
今日は朝から生憎の大雨。予定していた観光も、この雨じゃあねということで明日に延期。

雨が止むまで部屋でパソコンしたりして時間を潰す。昼過ぎになり雨も小降りになったんで、部屋でゴロゴロしてるのももったいないと思い散歩へ。

河沿いをブラブラ歩いていたら、1隻のバカでかい船が遠くの方からこっちへ向かって来ていた。どうやら豪華クルーズ船のようだ。俺らが乗ってきた庶民の船とは、スケールがあまりに違う。まわりの他の船が全部おもちゃにしか見えなかった。いつかあんな船でアマゾン河をクルーズしてみたいものだ。

そのあと、ネットカフェにネットしに行ったら、店に入ってからなんとなく違和感を感じる。何が違うのかなぁと思ったら、店にいるお客さん。パリッとした襟付きのシャツなんか着たナイス・ミドルなおじさまや、きれいな服を着たおばさまがネットをしていた。クルーズ船の乗客が、寄港地のサンタレンでネットしにやって来てたようだ。

別に偏見ではないけど、ブラジル人ってのは短パンにビーサンみたいなイメージがあるんで、それで店に入って違和感を感じたみたい。もちろん、その時の俺の格好はというと短パンにビーサン(笑)。

アマゾン河クルーズするような人達だから、ハイソな方たちなんだろうなぁと思っていたら、俺の前に並んでいたおじさんは、会計の時に釣りを受け取らずに去って行った。まあ、釣りといっても2レアル(約120円)と大した金額じゃあないが、俺なら絶対にきちんともらって帰る。だって、2レアルあったらスーパーで缶ビール2本は買えちゃうし。

ネットしたあとは、河岸から去りゆくクルーズ船を指をくわえつつ眺めながら、屋台で夕飯。

タカカっていうアマゾン地方のスープを食べてみた。干しエビとほうれん草みたいな野菜が入ったスープで、見た目は日本の味噌汁そっくり。でも、味は酸味と塩味が効いたスープで味噌汁とは全然違ったが美味かった。

そのあとは、またエアコンの効いた部屋で就寝までパソコンやゲームをして今日一日が終了。

明日は観光がしたいんで、晴れてほしいなぁ。


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2008年10月18日(土)
サンタレン
夜も明けた7時半くらいに船をおりて、サンタレンの町中へ。

 

サンタレンは、ベレンとマナウスのちょうど中間地点。ベレンやマナウスを行き交う船の交通の要衝ではあるが、ベレンやマナウスに比べると、町も小ぢんまりとして静かでのんびりとしている。

アマゾン地帯にあるこの町も、昼間はかなり暑いのでエアコン付きの宿にチェックイン。

次のサンタレン発の船は月曜日までないようなんで、今日は観光せずに、エアコンの効いた部屋でゴロゴロして過ごした。


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2008年10月17日(金)
続・アマゾン河下り
昨日、今日と見た船の上からの風景。



マナウスまでの物資は、巨大コンテナ船で運ばれてくる。10万トン級のバカでかいクルーズ船なんかでも、普通に入れるというんだから、アマゾン河はデカイ。

 

これは何かというと、ガソリンスタンド。生活が河、そして船と密着しているだけはある。

 

河岸に目をやると、高床式の家がたくさん並んでいる。今は乾季に入って水位も下がっているが、雨季になると水位もだいぶ上がるんだろう。

 

 

マナウスを出て、しばらくしてから出現したのがこれ。2河川合流地点。

ペルーに源流を持つソリモインス河と、コロンビアに源流を持つネグロ河がこの辺りでちょうど合流するんだが、合流しても二つの河の比重と流速の違いで、しばらく混じり合わずに流れる。それで、こんな風に河が2色に見えるというわけ。

ちなみに、焦げ茶の方がネグロ河で、薄茶の方がソリモインス河。

 

船で食った夕飯。5レアル(約300円)と安くはなかったが美味しかった。船の屋上に行けば小さい売店もあって、キンキンに冷えたビールも飲める。

 

アマゾンの夕焼け。

今日の夜の11時くらいには、目的地のサンタレンに到着。でも、夜も遅く危ないので、そのまま船で朝を待つことにした。ただ、電源が落とされていたこともあって、クーラーが使えず寝苦しかったが。

ボッーと河を眺めたり、クーラーの効いた部屋でゴロゴロしてたり、屋上で夕陽を見ながらビールを飲んだりしてただけだったが、アマゾン河を船旅するというシチュエーションもあってか、いい思い出になった。


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2008年10月16日(木)
アマゾン河下り
この前から調子が悪かったカメラだが、完全におかしくなったようだ。撮る写真ほとんど緑色。まともに撮れる写真のほうが少なくなってしまった。

ということで、ここマナウスから修理のため日本へ郵送。ブラジルの郵便事情は、そんなに悪くないと聞いてるし、値段も一番高いEMSで送るんで、無事に日本に届いてくれるだろう。

カメラを郵便局で出したあと向かったのは魚市場。魚市場といっても、鯛とか鯵とかが並んでいるわけではない。マナウスは、海に面しているわけではないんで、並んでいる魚は全部アマゾンの川魚。見たこともない魚がいろいろ並んでいて、見た目も変わったやつやグロいやつとかもいたりして、見るだけでも十分楽しめた。

 

この魚とかインパクトありすぎ。触ったらやたら硬いし、見た目もこれなんでとても食べる気にはなれない魚。でも、俺の横にいたおばちゃんは、これを何匹か買って行ってた。美味いんだろうか?

 

アマゾンナマズのピンタード。でかいやつは、5mとかあるらしいが、残念ながら今日は大物は揚がってなかった。といっても、これでも2m近くあったから十分でかいけど。ちなみに、こいつは食ったことがあるが美味かった。

 

 

 

 

ちょっとしたアマゾンの水族館気分を味わえた魚市場だった。

魚市場を見学したあと、昼ごろ宿に戻り預けていた荷物を受け取って、船着き場へと移動。

というのも、今日からトータル4泊かけてアマゾン河を船で下るのだ。それなら、ベレンからマナウスまで飛行機じゃなくて船で行けばよかったのにとお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、ギアナ3国に行こうと予定しているのと、マナウスにも行ってみたかったんで、そうなるとこういうルートにするしかなかったのだ。

ということで、まずは今日から2泊かけてサンタレンというところまで河下り。

 

 

2泊の船旅をするのはこの船、『GLOBO DO MAR』。

そして、2日間の寝床はというと、夫婦2人なんでカマロッチという個室にした。

      

部屋は狭いがクラー付きの部屋。値段はというと、飯なし2泊3日で350レアル(約20000円)。ちょっと前までは3食付いてたらしいが、原油高による燃料費高騰で飯抜きになったとか。

といっても、個室のカマロッチの数はたかがしれているんで、ほとんどの人はどこで寝るかというと、船に吊ったハンモック。

 

 

狭い船内に所狭しと吊られたハンモック。場所も早い者勝ちなんで、遅く来るとエンジンの隣のうるさい場所になったりすることも。

一生に一度あるかないかのアマゾン河クルーズ。ハンモックの方が情緒満点でそっちにしようかとも考えたが、ハンモック体験者談、値段は1.5倍近くするが、2人なら絶対にカマロッチのほうがいい。聞いた人全員がそう言ってた。

確かに、ハンモックだと貴重品の管理が大変だし、なによりハンモックに揺られてアマゾンクルーズにひたるのなんて、2時間もすりゃ飽きるとのこと。

カマロッチだと、鍵付きの個室で貴重品の管理も楽だし、部屋にはクラーも付いてるから、暑い昼間でも快適にすごせる。電源もあるからパソコンだって使える。

昼の2時過ぎに、船はマナウスの船着き場を離れ、サンタレンを目指し出港。いつもとは違う船の旅にちょっとワクワク。

船内の様子などは、また明日の日記で。


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2008年10月15日(水)
大都会マナウス
昨日、無事にベレンからマナウスまで飛行機で到着。

 

飛行機は、ひたすらアマゾン上空を飛んでいき、眼下にジャングルをウネウネと蛇行して流れるアマゾン河を見れた。

 

 

 

船で6泊かかるところ、飛行機だと2時間で到着。

 

空港の周りは、うっそうと茂るジャングル。ジャングルを切り開いて、こんな立派な空港をよくもまあ造ったもんだと思わず感心。

そして、マナウスの空港に着いて外に出たら、驚くことに鳥居があった。

 

アマゾンのジャングルど真ん中にあるここマナウスにも、日本人移住者はいて、来年がその移住80周年で、それを記念して建てられたもののようだ。

 

入植当初の移住者の写真が、空港のロビーに飾ってあった。最初はジャングルしかなかったこの地に、今は人口140万を超える大都市マナウスがあるわけだが、この人達もその建設に協力したわけだ。自然と頭が下がる思いにかられる。

空港から市内までは、市バスで移動。きれいな舗装道路を走って行くが、その両脇はうっそうと茂るジャングル。迷いこんだら、マジに出てこれなさそう。それを見て、ジャングル地帯に来たんだと納得。

しばらく行くと、高層ビルやらが多く目に入ってくるようになり中心部に近づいていくのが分かる。交通量も人も増え、道の両脇にいろんな店や家が並んでいる。さっきまでのジャングル地帯はどこへいったんだろうと思えるくらいマナウスの町は都会だった。

でも、ちょっと郊外に足を伸ばせばもうそこはジャングルなわけで、最近でこそベネズエラに抜けるでかい道ができたが、それまでは陸の孤島と呼ばれていたのがうなずける。

マナウスは、大都市なだけに治安もよくないと聞いている。そのせいもあってか、バスで英語を話すブラジル人のおっちゃんに声をかけられ、どこまでいくのかと聞かれて、どこどこまでと言うと、それなら俺が連れて行ってやると言われた。しかし、あまりにも上手な英語とおっちゃんの外見の胡散臭さに、ここで降りるんだよ、俺もここで一緒に降りるから、さあ行こうと言われても信用できずに、バスを降りるずにいたら、降りたい場所からかなり離れてしまい、そのまま市バスに乗り続ける羽目となってしまった。

また空港まで戻って空港からさらに郊外まで行って、そこからまた来た道を引き返してマナウスの町に戻ってきたら、3時間近く経過していた。

今思えば、あのおっちゃん普通にいい人なだけだったのに、つい信用しなかったばっかりに無駄な時間を費やしてしまった。ごめんよ、おっちゃん。

そんなことがあったが、なんとか昨日は無事に宿にチェックインできたのだった。

そして、今日はというとアマソナス劇場を見学してきた。

この劇場は、かつてマナウスがゴム景気で沸きかえっていたころに、ゴム成金となったヨーロッパ人が、アマゾンのど真ん中でも、ヨーロッパと同じ生活水準を求めて造った劇場だ。

 

     

 

     

     

 

タイル張りの外観、大理石でできた床、調度品もヨーロッパ製と有り余る金にまかせて、建築にかかる材料のほとんどをヨーロッパから持ってきて造ったというから驚きである。こんなもんをジャングルのど真ん中に建造するとは、人間の欲望とは飽くなきことよ。まさに、ゴム景気時代の富の象徴アマソナス劇場といったところか。

とまあこんな感じで、アマゾンの大都会マナウスは自分の想像よりもはるかに都会だった。


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2008年10月14日(火)
コシーニャ
ベレンからマナウスへのフライトが昼の便ということもあり、朝は昨日市場で見つけた美味いコシーニャ屋まで朝食に。

コシーニャとは、ブラジルどこにでもあるスナック。もちもちした生地の中に、鶏肉とかチーズなんかを入れて売られていることが多い。

そして、ここベレンは大西洋に面した港町ということもあり、ここのコシーニャには、カニのむき身を入れたやつがあってそれが美味い。

そんなカニのコシーニャを、市場にたくさんあるスナックスタンドのなかで、飛ぶように売っている店がある。昨日、地元民で溢れかえっているから、美味い店に違いないと思いふらっと入ってみたら、びっくりなことに日系1世の方がやっているお店だった。

その日は、旦那さんのほうしかいなかったけど、日系人の奥さんと二人でやっているお店だった。

旦那さんは、広島出身の方で、30歳くらいまでは日本で仕事をしていたらしいが、ちょうどそのころ、このブラジルのベレンあたりが胡椒景気で沸いているのを聞きつけて、移住してきたそうだ。

来た当初は、まだ胡椒の景気もよく、毎日飲みに行ったりと、羽振りのいい生活をしていたようだ。しかし、害虫やらの問題で、胡椒景気が急速に減速していくのを見て、早めに胡椒栽培に見切りをつけて、今の商売を始めたらしい。

そして、次に始めたこのコシーニャ屋も大当たりで、ベレンに大きな一戸建ての家を持ち、車も何台か所有して、最近では、河の向うのマラジョー島に別荘を建てたそうだ。コシーニャ御殿にコシーニャ別荘というわけだ。しかも、その別荘の1室は旅行者用の宿泊施設として、安い値段で提供する予定とのこと。太っ腹!

そういえば、お祭りのあった週末は、コシーニャを1日2000個売ったらしい。ちなみに1個の値段は、1レアル(約60円)。他の店が、1日に平均100〜200個売れればいいところ、この店は1日平均1000個売るというから、その盛況ぶりがうかがえる。

しかも、お世辞にもきれいとは言えないような市場の隅でやってるお店ということで、税務署にも儲かってませんよ、うちは。と報告するだけでむこうも信用するらしく、税金もほとんど払わずにすむそうだ。そんなんでいいんか?ブラジルの税務署と思うが、おじさん曰く、それですむのがブラジルらしい。

そんなおじさんの話を聞きながら、美味いコシーニャをほおばる。

       

ちなみにこれが、おじさんとこのカニのコシーニャ。お供のジュースはクプアスーというアマゾンフルーツで、これも美味かった。

おじさんとこのコシーニャは、丸い形をしているが、ブラジルでは基本どこもスライム型というか滴型で売られている。

滴型だと、頭のとんがってる部分に具が入ってなくて、その部分だけ生地だけの味でいまいち。でも、この丸型だと、どっからかぶりついても具にあたるんでいい。

そして、ブラジル人は生地が暑いのもサービスの一つと思っているのか、分厚い生地のことが多い。しかし、おじさんとこのは生地も薄目で具もたっぷりなんで、そこがいい。

聞きはしなかったが、具の味付けなんかにも何かちょっとした工夫がされてあるんだろう。

こうしたちょっとした工夫をするだけで、売れ方も全然違うのに、ラテン気質で、悪く言えばいいかげんなブラジルの人はそれをしないんだよねぇ。まあ、そのおかげで自分が儲かってるんだけどね。はははは。とおじさんが言っていた。

他にもいろんな話を聞かせてもらい、帰る時には、おじさんの別荘で採れたドラゴンフルーツをいただいた。

偶然の出会いだったが、おもしろい話をいろいろきかせてもらえてよかった。これからも、元気に美味いコシーニャを作り続けてほしいものだ。


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2008年10月13日(月)
アサイー
ブラジルのカフェとかでよくメニューで見るアサイー。

 

自分も何回か食べたが、店でだされる時は、上の写真みたいにすりつぶされた後のどろっとした液状でだされる。

すりつぶしたまんまなんも入れない状態で食べると、ちょっと青臭い感じがするが、砂糖とかシリアル入れて食ったら美味い。ブラジル人は、なんも入れずにそのまんま食ってる人も多い。

このアサイーだが、なんでもポリフェノールがワインの30倍で、そのほか必須アミノ酸が豊富に含まれているとかで、奇跡のフルーツとして世界的にも注目されているそうな。自分は全然知らなかったが、日本でも何年か前にブームになったらしい。

そんなアサイーだが、今日の昼前に宿の近くを歩いていたら、店先になにやらブルーベリーみたいな紫の粒がいっぱいあるのを発見。もしやと思ったらアサイーの卸屋だった。

ほうほう、これがアサイーの実かと興味深々に俺らが見ていたら、店の奥で休憩していたおっちゃんが出てきた。そして、サービス精神旺盛なブラジル人らしく、わざわざエプロン・帽子を着て、俺らのためにアサイー絞りの実演を見せてくれた。

 

            アサイーの実

      

絞って濾すを何回か繰り返したらできあがり。おじちゃん、俺らのために実演してくれてありがとう。


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2008年10月12日(日)
ナザレの大祭
日曜日ってことで、いつもなら人通りも少ないはずだが、さすがに今日は祭りがあってるんで、ベレンで一番の大通りは人でごったがえしていた。というか、半端ない人で身動きとりづらかった。

そもそも今あっている『ナザレの大祭』ってなんなのかというと、ベレンの守護聖人『ナザレの処女』をたたえるお祭りらしい。

お祭りの本筋は、町に2つある大聖堂の一つから、もう一つの大聖堂までの4キロ近い道のりを、その処女の像を抱えて数十万人が行列をなして行進するというもの。

別にナザレ信者でもなんでもないが、せっかくのお祭りの時期にベレンに来たのもなにかの縁ってことで、俺も行進してきた。

が、あんまり人が多くて息が詰まりそうだったんで、途中から人が少ない道をショートカットしたりした。というか、8割以上はショートカット。

でも信心深い人は、ひざ立ちで行進してたりしてた。

 

さすがに、下はアスファルトなんで段ボールは必須。

それから、赤道に近いベレンは、昼間はかなり暑いんで、無料の水が所々で配られていた。これはありがたい。自分も途中何個かもらった。

     

聖母のプリントTシャツ。街中で売っているのを見た時は、こんなん誰が買うんやろうって思っていたけど、けっこう着てる人多かった(笑)。

      

久しぶりに祭りの熱気を感じ、常夏の気候もあってか山笠を思い出した。おいさぁー、おいさぁーとあのフレーズがよみがえる。

今は南米にいるが、帰国したら日本のいろんな祭りも見に行きたいもんだ。


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2008年10月11日(土)
アマゾン河の河口
今日はアマゾン河の河口に、祭りの一環でたくさんの船がでるというので見に行ってみた。

 

 

 

色とりどりの船が浮かんでいた。向こう側に見えるジャングルは、対岸ではなくてマラジョー島っていう島。九州くらいの大きさがある島らしい。

河口とはいえ、そんなでかい島が河にすっぽりおさまっているわけだから、アマゾン河ってでけぇなぁと、祭りよりもむしろそっちのほうに感心していた。

ここからペルーまで、アマゾン河を上って2週間くらいかけて行けるらしい。時間があれば行ってみたかったが、今回は残念ながら飛行機でマナウスまで行ってしまうんで断念。


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2008年10月10日(金)
ベレン
夜行バスで、朝ベレンに到着。

 

ベレンは、アマゾン河が大西洋へと注ぐ河口にある大都市だ。

しかも今週末は、ここベレンで『ナザレの大祭』といって、年に一度の大きな祭りがあるため、町は人で溢れかえっていた。

当然、宿はどこも満員でなかなか見つからず、最終的に汎アマゾニア日伯協会という日系人組織に、どっか宿がないか聞きに行った。そしたら、最近できたというパッカー向けの安宿をあっさり紹介してもらえた。頼りになるなぁ、日伯協会。

宿にチェックインし、次の仕事は飛行機のチケット探し。来週あたまくらいにベレンからマナウスというとこまでのチケットを買いたいが、どこの旅行代理店で聞いても高い。

最終手段と思い、ベレンの空港まではちょっと遠かったが、空港の航空会社オフィスまで行ってみることに。

結局、これが正解で、プロモーション価格のチケットが残っており、そこそこ安い火曜日のマナウス行きチケットをゲット。これで週末祭りを見て、無事にマナウスに移動できる。

久しぶりに、長距離バスじゃなく飛行機だ。といっても、ベレンからマナウスにはバスはなく、飛行機か船で行くしかないんで、飛行機にしただけやけど。バスがあったら、間違いなくバスにしたと思う(笑)。


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2008年10月9日(木)
世話好きのおっちゃん
昨日の午前中、レンソイスの絶景をツアーで楽しんだ後、次の町サン・ルイスに移動しようとバスチケットを買いに行ったはいいが、夜の7時までないと言われる。

 

そんな時間まで待ちたくないなぁと思っていたら、チケットカウンターのお兄ちゃんが、俺の知り合いがサン・スイスまでの乗合タクシーやってるから、それに乗って行くかと言ってきた。

値段を聞けば、バスと値段も一緒だし、夜の7時のバスだと到着が夜中になってしまうんで、迷わずその乗合タクシーで行くことにした。

15時ころに泊まってる宿に迎えに行くからと言われ、宿でタクシーの時間まで待機。

そして、15時過ぎに言われたとおり、乗合タクシーがやってきた。若い男の運転手が1人で客は他に誰もいない。

俺ら2人だけかと思っていたが、そのあとで1人おっちゃんが乗ってきた。客かと思いきや、運転手のおやじだった。

乗合タクシーかと思っていたが、どうもチケットカウンターのお兄ちゃんの友達のようで、バヘリーニャスに仕事で来た帰りに後部座席が空いてるんで、小遣い稼ぎに俺らをサン・ルイスまで乗っけていってくれるようだ。

まあ、悪い人でもなさそうだったんで、俺らもこの車でサン・ルイスまで行くことにした。

一応、お金も払って乗ってることだし、この親子にそこまで気をつかうこともあるまいと思い、寝不足と昨日のツアーで疲れていた俺は、車の中で寝る気満々だった。

車に乗って5分もしたら、睡魔が襲ってきた。このまましばらく寝ようと思っていたら、おっちゃんが、君らブラジル音楽は好きかと聞いてきた。

あぁ、好きだよと答えたら、ちょうど通りかかった町中で息子に車を停めさせ、何かを買いに行ったと思ったら、ミュージックDVDを4枚買ってきた。

しかも、全部ブラジルミュージック。完全に俺らに聞かせるために買ってきたといった感じだ。

それから携帯用DVDプレイヤーをバックミラーに取り付け始めた。もちろん、俺らに聞かせるために。

 

こうして、車内でブラジルミュージックをガンガンかけながらの鑑賞会が始まったのだった。

おっちゃんは、この音楽はいいだろう?とか、それ以外にもどこから来たの?旅の期間は?ブラジルは好きか?みたいな質問をマシンガンのように俺らにはなってくる。

人のいいおっちゃんなんで、俺らも適当にあしらうこともできず、素直におじちゃんの質問なんかに答えていた。

だが、おじちゃんと話しながらも俺の眠気はどんどん深まるばかり。結局、嫁さんにしばしおっちゃんの相手をまかせて、30分ほど俺は眠りについた。

あとから嫁さんに聞いたところ、俺が寝ているのを見て、おっちゃんはすごい寂しそうだったらしい(笑)。

30分ほど寝たら眠気も吹き飛び、再びおっちゃんのマシンガントークにお付き合い。

途中で腹減ってないかと聞かれ、出発前に食ったんでそうでもないと言ったが、おっちゃんは飯食うぞと、ドライブ・インに俺らを強制連行。

ここのハンバーガーは美味いんだということで、全員デカいハンバーガーを注文。

それから、この辺でしか飲めないというピンク・ガラナというジュースも飲んどけと言われ、これも注文。

世話好きのおっちゃんの言われるがままの俺ら。

でも、ハンバーガーは確かに美味かったし、ピンク・ガラナも珍しいジュースらしいんで飲めてラッキーだった。

 

        ご機嫌なおっちゃんと一緒に

 

             ピンク・ガラナ

腹ごしらえをすませ、再びサン・ルイスを目指してドライブ。今度は、途中からおっちゃんが運転したこともあって、マシンガントークはなくいたって普通なドライブだった。

こうして、21時くらいにサン・ルイスの町に到着。

町に着いてから、おっちゃんが宿は決まってるのと聞いてきたので、決まってないと言うと、それなら俺がいい宿を知ってるからそこに行こうと言うんで、とりあえずそこに行ってもらうことにした。

が、その宿は満室で、もう一つの宿も満室だった。なかなか宿が決まらないんで、地球○歩き方に載っている安宿に行ってもらうことにした。

実際その宿に行ってみたら、外観からいかにも安宿といった感じのところ。まあ、どうせ1泊だけだしここでいいかと思いつつ、一応部屋を見せてもらうことにしたら、おっちゃんも何故か部屋を見についてくる。

部屋は、まあきれいではないが、1泊するだけならいいかというレベルのところ。俺はもうここでいいやと思っていたら、おっちゃんが、ここはだめだ。もっといい宿があるからそこに行こうと言う。

いや、1泊だけだしここでいいよという俺の言うことなど聞く耳持たずといった感じで、なかば強制的に次の宿探しに連れまわされることとなった。

こうして、車で1時間以上かけておっちゃん親子と一緒に宿探しをする羽目に。なんとか、俺ではなくおっちゃんの目に適った宿がようやく見つかり、この宿はきれいだし、なかなかいいからここにしなと言われ、その宿にチェックインすることとなった(笑)。ちなみに、おっちゃんの知り合いの宿で、紹介料をもらっているという感じでも全然なかった。

とまあ、こんな感じで世話好きのおっちゃんに振り回されはしたが、楽しい時間を過ごせたのだった。

それと、これは余談だが、町の中心でカメラ屋をやってるというおっちゃんの家に次の日遊びに行ったら、超美人の奥さんがいて驚かされた。

やっぱ、世話好きでマメなおっちゃんはモテルんかなぁ(笑)。


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2008年10月8日(水)
レンソイス・マラニャンセス国立公園
8月に行ったボニートと並んで、ブラジルで一番来てみたかった場所。それが、今日のレンソイス・マラニャンセス国立公園。2週間くらい前に行ったレンソイスとは、名前は一緒だが別の場所なんで注意。

ここに何があるかというと、それは白い砂漠と無数のエメラルドグリーンの湖。

 

写真では、無数の湖が写せないんで伝えにくいが、とにかくすごいの一言。観光客が来るようになって、まだ時間が浅いこともあり、まだ知名度は十分ではないが、ブラジルはもちろんのこと南米大陸の中でも指折りのスポットだろう。

そういえば、最近だか知らないが、日本のNHKでも特集されていたらしい。

そんなレンソイス・マラニャンセス国立公園だが、白い砂漠の中に無数のエメラルドグリーンの湖が横たわる姿はまさに圧巻。

この湖はというと、雨季の間に降った雨が地下からしみ出してきてできるらしい。例年だと6月から9月下旬までがシーズンらしいが、今年は雨期に雨が多かったこともあって、10月初めのこの時期でも、運よくjまだ十分に水が残っていた。

それから、この白い砂にも秘密が。砂ではなく、なんと水晶の細かい結晶らしい。詳しいことは書くと長くなるんで、知りたい方は嫁さんのブログを参照してください。

空から飛行機で見ると、それはまたすごい景色が見れるらしい。今回、自分たちは遊覧飛行はしなかったけど、空からも見てみたかったな。

 

 

 

 

 

 

 

日差しは強烈だが、水の中に入ると気持ちいい。そして驚くことに、この湖には魚が棲んでいるのだ。乾季には完全に湖が干上がってしまうのになんで魚が?そう思ってしまう。

魚がここにどうやって棲みついているのかは、諸説いろいろあって解明されていないようだ。

いずれにしても、砂漠のオアシスに魚がいるなんて驚きだ。

 

なぜか知らんが、こんなところにネズミが1匹。どこからやってきたんだろうか?追いかけていたら、湖へと泳いで逃げて行った。おぼれ死ななきゃいいが…

 

湖で泳いだり、砂丘を駆け降りて湖に飛び込んだりとしていたら、あっという間に時間が過ぎていった。

それにしても、きれいな景色だった。ブラジルにこの時期に来る人は、ぜひ訪れてほしいところだ。


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2008年10月7日(火)
続、ベスト・ジャーニー
朝の9時頃、トゥトイアからバヘリーニャスを目指し出発。ここから先は砂地の中を進んでいくため、乗り物も4輪トラック。

 

白い砂漠地帯を、縦に横に揺れながらひたすら走る。座席は、トラックの荷台に作られた板一枚でできた座席なんでケツが痛い痛い。



2時間ほど揺られて、パウリーニョ・ネーベスという乗り換え地点に到着。

次のトラックが来るまでの待ち時間にカジューを発見。

 

最近、何度か街中で売ってるのは見たが、木に実がなっているのを間近で見るのは初めて。

黄色いのが、もちろん実なんだけど、それよりも気になるのが実の下になっているやつ。種なんだけど、これが酒のつまみなんかでもおなじみのカシューナッツなのだ。

カシューナッツってこうやって採れるんだと、しばし感心していた。

カジューにみとれつつ次のトラックを待っていたら、なんとさっきのトラックに食材やらを入れた袋2つを置き忘れてきたことが判明…

あぁ〜、とうなだれていたら次のトラックが来てそれに乗り込む。ただ、ここでダメもとでさっきのトラックに荷物を忘れてしまったんだけど、追いついたりできないと運ちゃんに聞いたら、ノープロブレム、たぶん次の村で停まってるはずだから、取りに行ってやると言ってくれた。

それはありがたいと思いつつも、荷物は誰かに持って行かれちゃってるかもしれないなどと、半信半疑でいた。

が、次の村に着いたら、なんとさっきのトラックが俺らの乗ったトラックが来るのをわざわざ待っていて、俺らに向かってこの荷物忘れ物だぞ〜と声をかけてきた。

まさか俺らの忘れ物に気づいて、しかも俺らが来るまで待っていてくれたなんて、想像もしていなかっただけに本当に驚いた。

何度もお礼を言って、トラックに乗りこみ再びバヘリーニャスを目指す。

さっきにも増して、揺れが激しい道が続く。とにかく揺れまくって、夕方前にバヘリーニャスに到着。飛んだり跳ねたりだったんで、ケツが痛い…

移動はハードだったが、昨日と今日とあわせて、自然のなかを駆け抜けてきた移動は、他ではなかなか味わえない素晴らしいものだった。


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2008年10月6日(月)
ベスト・ジャーニー
今日は、レンソイス・マラニャンセス国立公園の拠点となる町バヘリーニャスを目指しての移動。

ジェリコア・コアラからそのバヘリーニャスまでの移動は、ガイドブックのロンプラにはブラジルのベスト・ジャーニーだと書かれている。さて、どんな移動が待っていることやらと期待に胸を膨らます。

まずは、早朝ジェリコア・コアラからカモシンというところまでジープで移動。海岸線をひたすらぶっ飛ばして行くのが心地よい。

 

途中、川があったがそこは渡し船で渡る。

 

こうして昼前にカモシンに到着。

カモシンからパルナイバというところまでは、乗合タクシーで移動。ひたすら自然の中の一本道を飛ばし、パルナイバのバスターミナルに到着。

パルナイバからトゥトイアへは、バスで移動。このルートは、まあ普通の舗装道路を走るだけでそんなに面白みはなかった。

さらに、トゥトイアからバヘリーニャスまで行きたかったが、着いたのが夕方で明日しか無理だということで、トゥトイアで1泊することにした。

明日はどんな移動が待っていることやら。とりあえず、今日はカモシンまでの海岸線沿いの移動が気持ち良かった。


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2008年10月5日(日)
ジェリコア・コアラ
昨日から滞在中のジェリコア・コアラ。砂丘とビーチが一緒にあるリゾート地。

ジェリコア・コアラは日本人には、まだあまり知られてはいないが、欧米人には有名なようで、砂丘とビーチの組み合わせがなかなかないことも相まって、ブラジルのベストビーチとも言われているらしい。

そのせいもあって、場所自体は砂丘というか砂漠地帯にぽつんとある小さな村なんだが、ツーリスト向けのレストランや宿はかなりたくさんある。

ただ、砂丘とビーチって3日前に行ったカノア・ケブラーダといっしょやんと突っ込まれそうだが、ルート上ここは通り道だったもんで。

でも、ここのビーチも海岸線と白い砂丘が遠くまで続いてきれいだった。

 

 

      

 

 

 

 

村には舗装道路なんてなく砂道。

 

砂と海の小さな村ジェリコア・コアラ。適度に観光化されていて、のんびり快適に2日間過ごすことができた。


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2008年10月4日(土)
いろいろ出る朝食
昨日は、バスを逃したこともあってバスターミナル近くの宿に泊まった。

周辺でいくつか宿をあたったけど、バスターミナル周辺は、どこも高い。結局、安くはないけど周辺では一番安い60レアル(約4200円)の宿に泊まることに。

チェックイン時に朝飯付と言われたんで、何が出るのと聞いたらいろいろ出るよと言われた。

そして、今日朝起きて飯を食おうと食堂に行ったら、なにやら朝食係りのウエイターのお姉ちゃんがいた。

お姉ちゃんに、こちらへどうぞとテーブルへ案内され、そのあとナプキンを渡された。

おぉ〜、こんな普通の宿なのに、なんか一流ホテルみたいな対応ですごいな。これなら、朝飯もきっと豪華なもんがでるんだろうなと、思わず期待してしまう。

それからお姉ちゃんがパンかごを持ってきて、俺の前に置かれたテーブルの皿にパンを1個置いてくれ、そのあとカップにコーヒーを注いでくれた。

ほう、まずはパンからスタートというわけですか。ということで、まずはスターターのパンをほおばる。

が、その後しばらくたってもお姉ちゃんは部屋の隅に腰かけたまま、俺のところに来る気配はない。

そろそろ、スクランブルエッグなり、ベーコンエッグなり、フルーツの盛り合わせなり、次の料理が来てもいいんじゃない?

しびれを切らした俺は、お姉ちゃんに他の料理はまだなの?と聞くと、いや、さっきので全部なんですけど、と返事をしてきた。

………

朝飯って、パン1個にコーヒーだけ?

それよりも、なんでパン1個とコーヒーだけのために、給士係のあんたが必要なんだ?

こんだけの飯なら、自分でパン取ってコーヒーついで食うからええわ!そんな無駄な人件費使うくらいやったら、朝飯もっとマシなもん用意してくれ!なにがいろいろ出ますだよ!

そう言わずにはいられない、今日の朝食のひとコマだった。

 

ちなみに、夕方無事ジェリコア・コアラに到着。おわり。


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2008年10月3日(金)
バスを逃す
午前中は、バスの時間まで少しひまがあったんで、ビーチをブラブラ散歩。

それから、次の目的地ジェリコア・コアラというところを目指して移動。カノア・ケブラーダからだと、フォルタレーザってところで一回バスを乗り換えないといけない。

 

夕方にフォルタレーザのバスターミナルに到着。すぐさま、ジェリコア・コアラ行きのバスチケットを買うべく、チケットカウンターの前に並ぶ。

けっこう混んでいて、ようやく俺の順番がまわってきた。

「ジェリコア・コアラまで、2人分。」とカウンターのおばさんに言うと、

「あら〜、ちょうど、あなたの前の人が買っちゃったから、あと1席しか残ってないのよ〜。」

と言われてしまう…

俺の前に並んでた人も、まだちょうどその場にいて、俺とおばさんの会話を聞いていたようで、俺と目があうと別に悪いわけでもないんだが、ものすごく申し訳なさそうな顔をしていた。

とまあ、今日はタッチの差でバスを逃してしまう。今日はもうバスがないんで、明日の朝のバスで行かないと行けないようだ。

ということで、仕方ないが今日はフォルタレーザに1泊するはめになってしまったのだった。


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2008年10月2日(木)
カノア・ケブラーダ
もはやブラジルで定番!?となりつつある夜行バスで、朝方、カノア・ケブラーダに到着。

 

カノア・ケブラーダは、一応ビーチ・リゾートらしいが、まだあまり観光客に知られていないようで、リゾートといってもあまり人がおらず、のんびりした空気が流れている。

 

ビーチのすぐ裏手まで赤土で覆われていて、砂浜の白、海の青、赤土の赤のコントラストがなかなかきれいだ。

 

適当にビーチをブラブラしつつ、途中のバーでちょっと一杯。

 

飲んだお酒は、もちろんカイピリーニャ。ブラジルに来てから、めっちゃ気に入ったカクテルだ。

ほろ酔い気分で、日暮れまでビーチでまったり。

これといって期待して来たカノア・ケブラーダじゃなかったけど、のんびりしていてけっこう気に入った。

ここを教えてくれたリオであった○○さん、どうもありがとう。


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2008年10月1日(水)
カメラの調子が…
4,5日前からどうもカメラの調子が良くない。どう調子が良くないかというと、撮った写真のうち何枚かが全体的に緑がかってしまう。

しかも、だんだんとその割合が増えてきている。今日なんか、10枚に1枚くらいは緑になってたような気がする。

今回の症状と別件とはいえ、4月に一度日本に送り返して修理したのに、また故障!?ちょっと早すぎやしないかい。

とりあえず、今のところ完全にぶっ壊れたわけじゃあないんで、様子を見ながら騙し騙し使ってみてはいるが、この感じだと近いうちにどっかの大きな町で日本に送り返さないといけなさそうだ。


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