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2007年9月30日(日)
インディヘナの村
今いるサンクリストバル・デ・ラスカサスというところは、メキシコで一番先住民が住んでいるところで、週末には各村々でティアンギスという市が開かれる。しかも、この地域では各村毎にウイピルという刺繍の模様が入った服を着ていて、その色使いなんかが鮮やかできれいなこともあり、村人がいっせいに集まる週末をねらって観光客が多く訪れる。

  

        

上の写真みたいに、村中の人ほとんどが同じような模様の刺繍の入った服を着ている姿は圧巻だった。しかも、どれもみんな手作りで一人一人微妙に模様が違っていて面白い。それと、先住民というだけあって、顔つきを見てもスペインが征服に来る以前のインディヘナと呼ばれる人達がほとんどだ。スペインが侵略してくる前は、このインディヘナの人達がメキシコの大地に住み、アステカやマヤといった文明を生み出してきたんだななどと、その姿を見てなんだか歴史を感じてしまった。

今でも伝統的な風習を守って生活してるためか、写真を撮られるのはあまり好まないようだったけど、望遠レンズを使って写真撮りまっくてきた。村の方々、隠し撮りしてごめんなさい。


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2007年9月29日(土)
ピクニック
今日は、、Tさん手作りのサンドイッチ持参で観光に行ってきた。朝から何かせっせと作ってるなあと思っていたら、みんなの昼食のためにサンドイッチを作ってくれていたのだ。なんだか、久しぶりにピクニックに行ったみたいで良かった。

  

         Tさんお手製のサンドイッチ

それにしても、Tさんは男にしておくにはもったいないくらい気が利く人だ。もはや今では、旅先での俺らのお母さん的な存在みたいになってきている(笑)。 


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2007年9月28日(金)
世界は意外に狭いかも
『世界は広い』そう思って旅に出たが、最近はそうでもないかもと思うようになってきた。

昨日の日記で書けなかったが、今いる宿でメキシコのカンクンで1か月くらい前に会ったZさんも宿泊していた。また旅先で偶然再会したわけだ。ただ、旅のルートが似ていれば、こんなことはよくあることだし、自分もこれが初めてというわけではないんで大した驚きもない。

じゃあ、なんで世界は広くないかもと思うようになったかというと、昨日の日記にも出てきたTさんとZさんが、実は知り合いで、3年前にエジプトで会っていたということだ。そんな2人が、今度は三年の時を経てメキシコで再開するんだから、そう思わずにはいられない。しかも、この宿の管理人さんも、このZさんに以前旅先で会ったことがあると言っていた。そんなこんなで、宿に泊まってる他の人達と話をしても、みんな誰かしら共通の知り合いと繋がっていたりして、なんだか他人のような気がしない。そして、共通の知り合いの話を、会ったそばからしてるんだから不思議だ。ワールドワイドな井戸端会議みたいなもんだ。

『誰々は、今あそこにいてこんなことしてるらしいよ。』

『あの人が、この前あそこで強盗にあったらしい。』

『俺、この前あいつに南米であったよ。』

こんな会話が普通に行われている。

そんなやりとりの中に自分がいて、以前ならそんな話を聞けば、そんなドラマチックなことがあるなんて、とか思っていただろうが、今となっては驚きというよりは、ふつうのありきたりなことになってしまっている。

こんな会話が当たり前なんだから、『世界は意外に狭いかも』と思うのも無理はないのかもしれない。


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2007年9月27日(木)
お母さん!?
夕方までパレンケ近郊を観光したあと、バスで次のサンクリストバル・デ・ラスカサス(略してサンクリ)という町まで移動することにした。



この町は標高約2200メートルにあり、標高ほぼ0のパレンケから、山道を乗り心地のあまり良くない2等バスで、右に揺られ、左に揺られしながら行かなければならない。乗り物酔いしやすい嫁さんは、それだけでもすでにグロッキー状態なのに、ここの山道はトペ(信号代わりに道の真ん中を盛り上げて車を減速させるやつ、日本だとヤン車がよく来るゲーセンやボーリング場の駐車場なんかで見かけるやつ)がやたらと多い。これが現れるたびに、バスは減速して、そのトペを乗り越えながら進むわけだが、2等バスでサスが効いていないせいで、乗り越えて行くたびにドスンという衝撃がバス中に響き渡ってくる。しかも、あいにく自分たちの席は一番後ろの後輪の真上の席。一番衝撃を感じるところだ。トペを通過するたびに、お尻から上へと突き上げる衝撃が伝わってくる。

このせいで、嫁さんはもう半分死んだようになってるし、自分も寝たいのに、5分と経たないうちにこの衝撃が伝わってくるもんだから、寝ようにも寝られない。こんな感じで5時間、ただひたすら我慢して乗っていた。そういうわけで、サンクリに着いた時には二人ともヘトヘト。夜の10時近いし晩飯も食ってないしで、嫁さんはもう病人状態だった。

バスが着いて宿を決めないといけないわけだが、ここサンクリでは、前もって泊まる宿をすでに決めていたからそこに行くことにした。というのも、メキシコで出会ったTさんに借りていたCDを返すことになっていて、ここサンクリで落ち合うことにしていたからだ。Tさんは、サンクリにある日本人宿に泊まってるということで、疲れきった体にムチ打ってそこに行った。

宿に行くと、約束してた通りTさんがいた。Tさんには、一応メールで今日そっちに行くとメールしてた。ただ、夜遅くになっても来ないから、何かあったのかとちょっと心配してたよと、温かい言葉をかけていただく。しかもそれだけじゃなく、俺らのために晩飯作って待っていてくれたというのだ。なんて、できたお方なんだこの人は!

空腹と疲れでぐったりしていた自分たちに、温かいスープパスタとサラダを振舞ってくれたTさん。なんて優しいお方だ。我が家で、愛情こもった食事を用意して家族の帰りを待つ母のような愛情を持つ素晴らしいお方だ。『お母さん!?』そう呼びたくなってしまいそうなほどだ。(ただ、Tさんは男性ですが。)

愛情こもった料理に身も心も癒され、移動の疲れも和らいだ。ありがとうTさん!きっと素敵な主夫になれますよ(笑)!


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2007年9月26日(水)
早起きは三文の得…
夜行バスで、早朝6時にパレンケに到着。



ここは、ジャングルの中にある小さな町だが、世界遺産にも登録されたパレンケ遺跡があるということで多くのツーリストが訪れる。当然、自分たちもそれが目当てでやってきた。

遺跡の観光は、暑い日中は避けて午前中にするのが良く、多くのツーリストは涼しい朝のうちにやってきて遺跡見学する。

早起きバックパッカーとして有名な自分たちも、当然午前中で行くべく、夜行で早朝6時にこの町にやってきた。確かに、熱帯のジャングルにあるとはいえ、この時間はかなり涼しい。これなら、気持ちよく午前中に遺跡見学できそうだ。『早起きは三文の得』とは、よくいったもんだ。涼しい午前中に観光をすませ、午後は思い思いに自分たちの時間を過ごす。う〜ん、これこそまさにバカンスと呼ぶにふさわしい過ごし方だ。

宿もささっと見つかり、7時前にチェックイン。このまま遺跡を見に行きたいとこだが、遺跡は8時からだし、昨日からシャワーを浴びてないんで、シャワーを浴びて朝飯食ってから行こうということに。ということで、嫁さんがシャワー浴びてる間に俺が朝飯を買って来ることに。ちょっと歩いたとこにパン屋があり、パンを買って帰ってくると、嫁さんがベットに横になって寝ている。

「おいおい、寝てないで朝飯食って遺跡に行こうや。」

と言うと、昨日の夜行であんまり寝れなかったから、少しだけ休んでから行きたいんで、10時に起こしてと頼まれる。まあ、無理をして行っても意味ないんで、そうすることに。

それから自分もシャワーを浴びて、買ってきたパンを食って、10時まで待つことに。本でも読んで待つことにしたが、これがいけなかった。活字を追っているうちに、睡魔が襲ってきた。いかんいかん、ここで寝てしまっては、せっかく早朝をねらってここに来た意味がなくなるじゃないか。そう自分に言い聞かせるが、パンを食った後ということもあって眠気はさらに強くなるばかり。ほっぺをつねったりしながら、眠気を飛ばそうとしたりしていたが、いつの間にか自分の体は椅子の上から、ベットの上に移動。最初は、上半身は起こして壁に寄り掛かっていたが、それも5分と経たないうちに、いつの間にか嫁さんの横で、自分も横になってしまっていた。ちょっとだけ、ちょっとだけ横になるだけさ。そう言い聞かせているうちに、結局、眠りに落ちてしまった。

こうして、二人して起きたのは昼の1時前・・・今から遺跡に行くとなると、一番暑い時間だ。いったい、何のために早朝にこの町に来たんだよ。そう自問せざるを得ない結末となってしまった。

『早起きは三文の得』、この言葉は自分たちとは縁がなかったようだ…

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2007年9月25日(火)
カンペチェにて
昨日の夜、メリダからカンぺチェという町まで移動してきた。



ここは、次の町への移動のワンクッションとして寄っただけの町なんで、これといって何もしてない。今日の昼、ちょっと町をブラブラしただけだ。あてもなく適当にブラブラしただけだったが、町の印象は家の壁なんかが下の写真みたいにカラフルでいい感じだった。

        

どの家も、壁の色で自分の家を主張してますな。


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2007年9月24日(月)
バードウォッチング
今日は、メリダから100キロほど離れたセレストゥン自然保護区に行ってきた。マングローブが生い茂り、そこにフラミンゴやらといった200種類以上の野鳥が生息しているところらしい。日本野鳥の会の人が来たら、さぞや大満足な場所だろう。もちろん、フラミンゴくらいしか分からないわたくしらでも十分満足できる場所でした。

  

            フラミンゴその1

  

             フラミンゴその2

       

            マングローブの森

  

             ペリカン軍団

  

            いろんな鳥の群れ


以上、鳥三昧な一日でした。


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2007年9月23日(日)
遺跡マニア
今いるユカタン半島は、マヤ文明時代の遺跡があちこちにある。けっこうマニアックというか、観光客があまり行かない遺跡も多くあったりする。

今日は、そんなマヤ時代の遺跡を1日かけて5個も訪れてきた。1日1本だけこれら5つの遺跡を周る巡回バスが出てるんで、それに乗って行ってきた。けっこう観光客がいるのかなと思っていたが、実際行ってみると、外人観光客は、自分たち以外には日本人の男の人が一人いるだけで、あとは立派なカメラを携えた遺跡マニアっぽい人や考古学関係の仕事をしていそうなメキシコ人が何人か乗ってるだけだった。もはや観光用の楽しい周遊バスというよりも、遺跡マニアのためのコアな周遊バスといった趣さえ漂っていた。なんだかちょっとさみしい感じもするが、まあこんなもんか。確かに、このうちの1つはかなり有名な遺跡で、かなりの観光客が訪れる遺跡だが、残りの4つはアクセスも面倒臭いし、ちょっとマイナーなこともあって訪れる観光客も少ない。その有名な遺跡1個だけ訪れる人ばかりで、5個も遺跡に行こうなんて人は少ないんだろう。

自分達は遺跡マニアではないんで、5個も行くこたないかとは思ったけど、時間もあるし、どうせ行くなら5個見たれ!ということで行ってきた。

行ってみると、キューバ帰りで最近全然遺跡を見ていなかったからか、けっこう新鮮な感じがしたのと、マヤの遺跡は模様がきれいで、それがけっこう自分はいいなと思ったのもあって、飽きずに楽しめた。しかも、4か月以上メキシコにいて、博物館やら遺跡にけっこう行ったんで、ああ、あそこに○○の神のあれが彫ってあるだとか、この建築様式はたしかにマヤ文明の特徴だなどと、遺跡のことが多少なりとも分かるようになってきたせいもあるかもしれない。

こうやってみてみると、俺らももうすでに十分遺跡マニアの仲間入りか?


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2007年9月22日(土)
休養日
本日は、疲れもたまっていたこともあり休養日。スーパーに買い物行って自炊したり、本読んだりして過ごす。ここ何日か精力的に?動いてたんで、たまには、こんな日があってもいいだろう。


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2007年9月21日(金)
聖なる泉『セノーテ』
今日は、宿で知り合った女一人旅のMさんと一緒に3人でセノーテ巡りに行ってきた。セノーテは以前ダイビングでも潜ったが、今回は潜らずに見学かつ泳ぎに行ってきた。

セノーテとは、石灰岩の地質に雨水が浸みこんでできた水たまりの上部が欠落してできた地下の水たまりのようなものだ。と、説明してもイメージ湧かないと思うんで、下の写真がセノーテ。こんな感じ。

  

想像以上に水も澄んでいて、なかなか神秘的なところだ。この辺りは昔から水不足に悩まされてきたらしく、雨乞いのために、セノーテへと若い少年・少女を生贄として捧げていたというくらい神聖な場所らしい。

今回は、そんなセノーテをトロッコ馬車に乗って訪れるという、なんとも情緒あふれるツアーに参加してきた。セノーテは、うっそうと木が生い茂る湿林帯の中にあるので、当然歩いては行けない。トロッコ馬車といって、観光用に敷かれたレールの上を馬がトロッコを引っ張って連れて行ってくれる。これはこれで、初めての経験でなかなかいいものだった。ただ、座席は1枚板でクッションなどなく、激しく揺れるのでかなりケツが痛くなってしまうのが難点だ。正直、最後の方は情緒など忘れて、ケツが痛てぇ〜と軽く悲鳴をあげていた。

ツアーは3つのセノーテを見て、しかも泳げるということで、はりきって水着持参で行って参りました。自ら人身御供としてこの地に雨が降り注ぎますようにと、生贄になろうという崇高な気持ちで行ったつもりでしたが、昨日の夜激しく雨も降り、水不足も解消されただろうと判断し、今回はやめておいた。決して、命が惜しくてやめたわけではないぞ!

そんなことはどうでもいいとして、実際に訪れてみたセノーテは本当に水がきれいで、じっと見ていると吸いこまれそうで、ちょっと怖い感じもするくらいのところだった。こんなとこ一人でくるもんじゃない、連れがいてよかったとMさんも言うくらい、一人だと寂しいを通り越して怖いだろうというような場所だった。それくらい、なんだか神聖な感じがする場所であった。

常日頃、皆から聖人と呼ばれきたような、そうでないようなわたくしですが、とりあえず、神聖な場所ということで、聖なるパワーをいただいて参りました。


       

聖なるパワーをさんさんとあびてきたぞ!これで、俺の煩悩も多少はおさまったことだろう。と言いつつ、帰りにがっつり肉食って帰ったわたくしでした。


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2007年9月20日(木)
臭い!
ドロボウ宿では何も取られることなく、朝のバスでメリダという町まで移動。



宿探しをして決めたはいいが、チェックインしてみてトイレ使ったら、半端なく臭い!呼吸を止めていないと、死んでしまいそうだ。部屋を変わりたかったが、ここしか空いてないようだし、他の宿に移動するのも面倒なんで、結局、ここで我慢することにした。

あ〜、それにしてもホントに臭いな!ここのトイレは!


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2007年9月19日(水)
突撃!ドロボウ宿
たった1日の滞在で、癒しの島『イスラ・ムヘーレス』を離れることに。もう1,2日滞在してもよかったが、どうても今日離れなくちゃいけない理由があったのと、これ以上ゆっくりしてたら旅がいっこうに進まねえだろと思い、後ろ髪をひかれる思いで島を離れることに。

島からボートでカンクンに戻り、バスターミナルまで行って、『チチェン・イツァー』という遺跡行きのバスに乗り4時間半かかって、ようやくその『チチェン・イツァー』に到着。着いたら、すでに15時すぎで、閉園時間の17時まで遺跡見学。なんとか遺跡を全部見終えた。

しかし、今日はここで終わらない。今日は週に一度、水曜の夜だけ催される『音と光のショー』なるものがある日なのだ。夜の遺跡をレーザー光線でライトアップするショーらしく、けっこういいよと人から聞いていたので、わざわざ水曜にあわせてきたのだ。

日も沈み、ジャングルの闇の中にある遺跡でのショーは想像以上におもしろく、来たかいがあったといものでござった。これでしょぼかったら、島を一日で離れた意味もなかったところだ。いや〜、よかった、よかった!

そんな大満足な遺跡『チチェン・イツァー』見学を終えたはいいが、実はまだ宿が決まっていない。いや、決まっていないというより、ある宿にいこうかどうか迷っていた。その理由は、その宿がドロボウ宿だからだ。しかも、1ヶ月くらい前に自分の知り合いが、そこでパスポートからなんやら一式やられたというのを聞いていたんで、迷っていたのだ。普通なら、行かないのが当然の選択だろうが、自分たちは二人だし、ただ寝るだけで明日の朝には移動するから、常に部屋に誰かがいるから大丈夫だよなということで、その宿に行くことにした。

そういうわけで、あえてドロボウ宿に突入です!これで明日の朝起きてなにかパクられてたらどないしよう?


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2007年9月18日(火)
癒しの島
カンクンでの充電を終えて、昨日のラムの呪縛からも解放され、カンクンを離れることに。野菜不足のキューバから帰って来てから4日間、自炊しまくりの野菜食いまくりの生活。こんなにも野菜が美味いと思ったのは初めての経験!

今日移動してきたのは、カンクンのすぐ近くにある島『イスラ・ムヘーレス』。スペイン語で『女の島』という意味だ。なんだか、名前を聞いただけで男性諸君はちょっとばかり胸躍る感じのネーミングだが、ここはそんないかがわしい島ではありません。トップレスの女性など一人もいない健全な島であります。

この島は、カンクンからボートで30分くらいの島で、カンクンと違ってのんびりしてるし、なによりもビーチがキレイ!遠浅なビーチが広がっていて、そのコバルトブルーの海を見ているだけでも癒される。

島自体は全長8キロほどの小さな島なんで、観光客はバイクやゴルフカートを借りて、島を1周する人が多い。自分たちもバイクを借りて島を1周した。バイクに乗って、海風に当たりながら綺麗な海を見ながらのドライブ。まさに、至福の時とはこういうことを言うんだなと思った。途中、バイクを停めて海の写真を撮ったり、波の音を聞いたり、砂浜でぼーっとしたり、ただそれだけだが本当に心地よかった。

今日は、島に癒された一日だった。


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2007年9月17日(月)
恐るべし、ラム
今日は夫婦揃って、超二日酔い・・・頭がガンガン痛い・・・

昨日飲んだラムがきいたみたいだ。6人でラムのボトル1本なんで、酒量としてはめちゃくちゃたくさん飲んだわけじゃない。それなのに、この気分の悪さはなんだ。このラム酒ってやつは焼酎と違ってなかなか抜けないみたいだ。次の日になっても体にかなりのアルコールが残ってる感じがする。

結局、昨日は宿の庭で椅子に座ったまま寝てしまい、朝気がつけば、玄関のタイルの上で寝ていた・・・
それから、頭ガンガンしながら両替に行ったり買い物に行ったりして一日過ごしたが、結局ラムは抜けず夜寝る時まで少し頭が痛かった。

恐るべし、ラム!しばらくラムは飲みたくないな・・・


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2007年9月16日(日)
再々開
キューバから帰って来て3週間ぶりにネットをしていると、嫁さんのブログに、以前オアハカやカンクンで一緒になったTさんからコメントがあって、まだカンクンに沈没しているということが判明。

彼は、自分たちよりも2週間ほど早くキューバから帰って来たはずなんで、まさか、まだカンクンにいることはないだろうと思っていたが、ブログを見るかぎりではいるようだ。同じカンクンにいるんなら、せっかくなんで会いに行ってみようということに。おそらく、以前一緒に泊まった日本人宿だろうと思い行ってみると、案の定いました!

2週間のあいだ、たまに観光にでかけちゃあ、あとは宿に引きこもって大好きなビールを飲んだり自炊したりして過ごしていたらしい。いかにもTさんらしい。おまけに、2週間いて自炊の材料が余ってるからあげるといって、小麦粉・にんにく・たまねぎなどいろいろいただいてしまう。

そんなTさんと1か月ぶりに遭遇したんで、今夜は一緒に飲もうということになり、自分たちの宿でそれぞれラム酒を持ち寄って飲むことに。お互いキューバに行ったということもあって、話題はやはりキューバのことが中心に。やはり、食い物には苦労したなという話をしたり、どこそこがよかったという話で盛り上がった。

そして、そんな話の途中で、Tさんはキューバのtraditional music を集めたCDを何枚か買ってきてたことが判明。今回、自分たちが買ってこなかったこともあって、そのCDを借りて i-pod に入れさせてもらうことにした。いや〜、キューバのCDを買い忘れていたんで、ホントに助かった。Tさんありがとう!

ただ、人さまから物を借りたいじょうは返さなければいけない。当然、現在滞在しているカンクンにいるうちに返すつもりで借りたんだが、いつのまにか成り行きでTさんの次の目的地で返すことになった。

こうして、今夜の飲み会はTさんと再々々会の約束をすることになるのだった。


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2007年9月15日(土)
減らない荷物・・・
今日は、キューバに行っていた間、宿で預かってもらっていた荷物があったりしたので、荷物の再パッキングをし、要らない荷物やお土産を日本に送ろうということで、その箱詰めを行ったりした。といっても、箱詰めに関しては自分は何もしてませんが。

箱詰めいたしてみますと、みかん箱より一回り大きい段ボールいっぱいの荷物となってしまいました・・・重量にして11キロ!よくもまあ、こんなに送るもんがあるもんだと我ながら驚いてしまった。

ただ、これで荷物が11キロも軽くなるかと思えばそうではなく、こっちで増えた荷物なんかもまだあったりして、そんなに軽くはなってない様子。

まだまだ重いリュックを背負っての旅は続きそうだ・・・

(ちなみに、この日記は15日以降に書いてて、この日記の日付とは前後するが、カンクンでキューバ帰りの反動で、袋ラーメンや焼きそばを8袋まとめ買いしたのと、3日後に海で拾ったサンゴの化石が3つほど追加されました。どちらもなかなかの体積です・・・特にサンゴのほうは化石といっても、文字通り石であってなかなか重たい代物であります。荷物運びのほう、歯をくいしばってがんばるであります・・・)


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2007年9月14日(金)
キューバから戻って来たぞ!
3週間のキューバの旅を終えて、今日メキシコのカンクンに帰ってきた。

カンクンは、メキシコ最大のリゾート地というだけあって、コンビニ、スーパー、レストランとなんでもある。キューバとは、あまりにも対照的!

物があるってすばらしい!そう思わずにはいられない。確かに、日本みたいにもので溢れた生活もどうかと思う。ただキューバに行って思ったのは、ある程度の物がなければ自分たちは生活できないということだった。

こんなに食べ物に苦労したことはなかった・・・キューバは配給制のためか、ハバナは別として俺ら観光客が物を買える場所が少ない。そして、あっても売ってる物のバリエーションが極端に少ない。ピザか焼き飯か具が単品のハンバーガーといったくらいだ。バナナを食ってあんなに幸せになれるなんて(涙)!

欲しがりません勝つまでは!というか、欲しがりませんカンクンまでは!食に関しては、その精神でがんばって参りました!

ということで、本日の夕食は豚カツであります!それも手作りであります!



こんなに肉食ったの久しぶりだ!ガツガツむさぼるように食った。肉汁満載で美味かったっす!

ただ、キューバは食べ物がないみたいなこと書いたけど、観光自体は楽しかったんで、興味がある方はぜひ訪れてほしいものです。カストロさんが生きてる間に、社会主義キューバを見れるチャンスもおそらく残りわずかだろうし。なにはともあれ、キューバは良くも悪くも刺激の多いとこだった。


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2007年9月13日(木)
ヘミングウェイ
キューバにゆかりがある有名人で、チェ・ゲバラ以外にヘミングウェイがいる。『老人と海』、『誰がために鐘は鳴る』といった本を書いた人で、ノーベル文学賞を受賞したほどの有名な作家だ。ただ、文学少年といわれた俺も、恥ずかしながらヘミングウェイの本は1冊も読んだことがない。帰国した時は、ぜひ読んでみようと思う。

ヘミングウェイはアメリカ生まれだが、長年キューバに住み、ここでいろんな本を執筆していたということで、キューバでは有名人だ。ヘミングウェイがかつて通っていた行きつけのバーや滞在していたホテルが、観光スポットになってたりもする。そんなキューバでも人気者のヘミングウェイ。当然、彼の博物館なるものも存在する。彼の本を読んだこともないが、とりあえず行っとくべと行ってみることにした。

ヘミングウェイ博物館は、キューバ市街のはずれにある彼の大邸宅をそのまま保存して博物館にしたものだ。彼が住んでいた時のままの状態で保存されている。ただし、家の中には入ることができず、開け放たれたドアや窓からその内部を見るようになっている。当然のことながら、勝手に家の中に入る輩がいては困るので、家の中にはキューバ人の監視員がこれでもかというくらいたくさんいる。

こんな状況なんで、中に入ることはできないし、写真といっても家の外観を撮るくらいが精いっぱいで、家の中の写真を撮るなんてもってのほかだ。しかも、ここは写真を撮る場合は、それだけで5CUC(約700円)も撮られる。家の外観程度しか撮れないならいいやと、写真は撮らないことにして己の目にその映像を焼きつけて帰ることにした。

博物館に着いて、ここがかの有名な博物館かと感慨もひとしおに見学していると、やたらと家の中の監視員から「カメラ!カメラ!」と声をかけられる。最初は、写真を撮るためのパーミッションは持ってるのかと聞いてきてるのかと思っていた。俺も、「ノー、ノー。5ペソ払ってないよ。でも、写真は撮らないから大丈夫。」と答えていたんだが、どうもそうではないらしい。何をカメラ、カメラと話しかけてきてたかというと、なんと、2CUC(約280円)私に払ってくれれば、この監視員が家の中の写真を撮って来てあげると言っていたのである。なるほど、彼女達なら自由に家の中の写真を撮れるしな。しかも、家の外観しか撮れないのに5CUC払うよりは、2CUC払って家の中の写真撮ってもらった方がいいよな。そう思い、その監視員のおばちゃんに2CUC払って、家の中の写真を撮ってもらうことに。

こうして、おばちゃんに家の中の写真を適当に何枚か撮って来てもらったんで、約束の2CUCを払って帰ろうとすると、おばちゃんが小声で何か俺らに話しかけてくる。

「老人と海の日本語版が、そこの本棚にあるんだけど見る?」

見ても大丈夫なのかと聞くと、こっそりちょっとだけ見せてくれるという。



上の写真が、その『老人と海』の日本語版である。なかなかの年代物らしく、古びた中にも哀愁がある。裏表紙には、本人直筆のサインまである。ヘミングウェイ所有のものとなれば、日本でもけっこうな値段がする代物とみてよいだろう。

キューバにとっては、国宝級ともいえるヘミングウェイの本で、しかも日本語版を見せてもらえるとは、それだけで幸せである。こっそりと見せてくれたおばちゃんにお礼を言って、その場を後にしようとすると、おばちゃんから信じられない言葉をかけられる・・・

「この本、30CUC(約4200円)で売ってあげるわよ。どう買わない?裏表紙のサインだけなら、15CUC(約2100円)でどう?」

こう言って、俺らに博物館にあるヘミングウェイが所有していた本を売ってくるのだ・・・恐るべし・・・キューバはなかなか現金獲得が難しいとはいえ、そこまでしてお金が欲しいとは・・・

犯罪者にはなりたくないので、おばちゃんに本はいらないと断ると、今度は原著を持ち出して来て、これもサイン付きで、本は70CUC(約9800円)、裏表紙のサインは40CUC(約5600円)でどうかと持ちかけてきた。これももちろん断った。

いくら金が欲しいっていっても、そこまでするとは・・・
しかも、ノーベル賞まで獲った人の本をいとも簡単に・・・なんだかキューバのダークな部分をみたようで、軽く気が滅入ってしまった。

働いたら、働いた分だけお金がもらえるわけじゃないから、こんなことしてお金を稼ぐしかないんだろうけどね。社会主義の国で暮らすのも大変そうだ。


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2007年9月12日(水)
市バスでの長旅・・・
キューバの市バスのことは,前にも少しだけ触れたと思うが、とにかく人が多くてすごい。そのうえ本数が少ないんで、次のバスでいいやというわけにもいかない。ただ、本数が少ないから人が多いという見方もできるのかもしれないが、とにかくキューバの市バスに乗るのはそれだけで疲れる。

今日は、ハバナ市街から10キロほど離れた所まで市バスで行こうとバス停でバスを待つことに。待たされることは覚悟していたが、1時間半待っても目的のバスは来ない・・・もうあきらめて帰るかと宿に向かって歩いていると、向こうから乗ろうとしたバスがやってきた!おお、やっと来たかと思い、人であふれ返ったそのバスに乗る。これでようやく目的地に行けると思っていたが、どうやらこのバスはそこまで行かないらしく、途中で乗り換えなければいけないらしい。乗り換えはそんなに待たずにでき、今度こそ目的地に行けると思い一安心する。俺らの目的地は、このバスの終点と聞いていたから、このまま最後まで乗っていればいいわけだ。もうあとは楽チンだ。

しかし、終点に着いてみるとそこはただのバスの車庫で、まわりには何もない・・・運転手に、どこどこに行きたかったんだけど、ここじゃないのと聞くと、ここじゃなくてもっと手前のバス停で降りなきゃいけなかったよと言われる・・・結局、またここで折り返すバスに乗って戻らないといけないということだ。しかも、折り返しのバスは今乗ってきたバスの運ちゃんが、飯食って帰って来てからしか出ないらしい・・・とりあえず、この運ちゃんにできるだけ早く帰って来てねとお願いする。

早く帰って来てとお願いしたが、そんなに早くは帰ってこないだろうと期待せずに待ってると、この運ちゃんは10分くらいで帰ってきた。そして、俺らを見るや行くべ!と声をかけて颯爽とバスを発進させた。運ちゃんは俺らに気を使って早く帰ってきてくれたみたいだ。ありがたいことだ。

今度は、運ちゃんにも目的地を告げていたので、降りる場所を間違えることもなく、ばっちり目的地で降りることができた。実に、たった10キロの道のりを来るのに、3時間近い旅であった。そのうち待ち時間が2時間半くらいかな・・・

観光を済ませ、一路町まで戻ることに。またバス停でバスを待っていたわけだが、またしてもバスがなかなか来ない・・・1時間くらい待ったが全然来ない。もう日も暮れてしまい、もしやバスはなくなったかと思っていると、反対車線をバスが走って来てバス停で停まった。反対車線だから、当然自分たちが乗るべきバスではないんだが、とりあえずバスが来るかどうかだけでも聞いてみようと聞くことにした。

すると、運転席に座ってるのは行きに俺らを乗せてきたバスの運ちゃんじゃないか!運ちゃんに、あっち側のバスが全然来ないからなんとかしてくれ!と頼むと、運ちゃんは、よし!わかった!みたいな感じで、俺らをバスに乗せ、ハバナ市街へのバスの乗り換えポイントまで連れっててくれた。いや〜、本当に助かった!あの運ちゃんが助けてくれなかったら、今日中に帰れなかったかも知れないぞ。

こうして、無事にハバナ旧市街まで戻って来るのに、観光の時間を差し引いて5時間近くかかったのだった・・・

キューバでの市バス利用は、かなりの根気と体力がいるので、利用される方はその点にご注意を!


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2007年9月11日(火)
新市街
今日は、ハバナの新市街の方を観光してきた。新市街というだけあって、街並みも新しく旧市街とはまた違った雰囲気だった。きれいな建物も多く、ちょっとしゃれたカフェがあったりしていい感じだった。そこで通りを眺めながら食ったアイスが、やたらと美味く感じてしまった。

昨日から都会の空気にさらされ、食欲も満たされたこともあり幸せを感じる今日この頃でした。


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2007年9月10日(月)
おお!ハバナ
早朝のバスでビニャーレスを出て、途中ピナールデル・リオというところによってから、2週間ぶりにハバナに戻ってきた。

2週間前に来た時は、あんまり店とかないなという印象だったハバナだが、地方を回って帰ってくると印象もがらりと変わってしまった。ハバナは、こんなにもので溢れていたのかと!そう思わずにはいられない。売っているものの種類自体は少ないんだけど、とりあえずものを売っている場所が、地方とくらべて格段に多い。地方では、食べ物を買うのにちょっと探さないと見つからないなんてことがよくあったが、ここハバナではそんな心配は無用だ。通りのあちこちでものが売っている。ピザ、豚肉サンド、ジュース、フライドライス、通りに売っているこれらを見るだけで、嬉しさのあまり笑みがこぼれてくる。

ひさびさに食った豚肉サンド。パンにぺらぺらの豚肉が何枚か挟んであるだけなのに、涙が出そうになるくらい美味い!フライドライスも普通の味だが、久しぶりに食う米ということもあってとにかく美味かった!

こうして、今日は食への欲求を久しぶりに満たされ、ハバナに戻ってきたことを心から喜ぶ二人でした。


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2007年9月9日(日)
オープンカー
そういえば、2日前からビニャーレスという所に来てる。

  

キューバは、期間が3週間と限られてるんで、短期間で町を移って行かないといけないこともあり、少々疲れ気味だ。

ここビニャーレスは、キューバの西の方にある谷合の村で、奇岩が連なる山並みや鍾乳洞の洞窟があったりと見どころも多く、けっこう旅行者も来るようだ。

この村には、村の見どころを巡回してくれる巡回バスがある。ぼろぼろの中古のマイクロバスなんだが、運転席以外まったく窓のガラスがない。今まで海外でいろんな中古のバスなんかに乗ってきたが、窓ガラスが割れてたり、2〜3枚ないなんてやつには遭遇したことはあるが、まったく窓ガラスがないやつは初めてだ。確かに、風が入って気持ちいいが、雨降ったらどうするんだろう?びしょ濡れやんけ。そう思わずにはいられない。ひょっとしたら、オープンカーみたいに幌がどっかにあるのかと思うが、そんなものはどこにも見当たらない。

そんな巡回バスに今日乗ってきた。午前中は気持ちいい快晴の空が広がっており、このオープンカーも気持ち良い風を車内に運んでくれて快適に思えた。

しかし、昼過ぎから急に風が出てきて、最後は突風になったかと思うと、その後からものすごい雨が降り出した。風も強いんで、じゃんじゃん車内に雨が入ってくる。唯一窓ガラスがある運転席近くに避難するも、それでも濡れる。濡れないように、なぜか車内で傘をさす羽目に。まさかバスのなかで傘をさすことになるなんて・・・

オープンカーもいいけど、雨が降った時のことも考えてバスを走らせた方がいいんじゃないのか・・・


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2007年9月8日(土)
キューバで気になったこと
キューバに来て、一つ気になることがある。それは、女性のヒゲだ。

こっちでは、立派なヒゲを蓄えた男性はめちゃくちゃいるが、それだけにとどまらずに、ヒゲを生やした女性までいるんだから、最初はちょっと驚いた。

はじめに見たときは、ホルモンか何かの病気でヒゲが生えてるのかと思っていたが、あまりにも毎日ヒゲの生えた女性を見るんで、病気うんぬんではないようだ。というより、夫婦2人とも鼻の下にちょびヒゲ生やして、仲よさそうに腕を組んで歩いたりしてるのも見たりしたから、正真正銘の女性にヒゲが生えてるんだろう。それにしても、あのツーショットは凄かった・・・

まあ、ヒゲヒゲと書きはしたが、たいていは濃い産毛が生えてるといった程度だが、それでもけっこう目立つものだ。なかには、俺よりも濃い立派なヒゲを生やしてる人を見たこともあった。ちょっとあれは衝撃だった!正直、写真を撮ってここに載せたいくらいだが、レディーにいきなり、あなたのその立派なヒゲの写真を撮らせて下さいなどと頼めるわけないんで、残念ながら写真はない。

日本では考えられないことだが、実はキューバではヒゲの生えた女性がいいみたいな風習というか文化でもあるのだろうか?謎である・・・


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2007年9月7日(金)
ツアー
今日の観光は、ツアーに参加してワニの養殖場やキューバの原住民の村を訪れたりした。

個人では、なかなか行きにくいとこで、ツアーに参加した方が安上がりだったりするのもあってツアーにしたが、移動もむこうが連れてってくれるし飯も付いてるし、楽チンでよかった。たまには、ツアーに参加するのもいいもんですな。


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2007年9月6日(木)
カリブのビーチ
昨日の夜、バラデロというキューバのビーチリゾートに到着。

  

ビーチリゾートというからには、当然ビーチに繰り出さねばと行ってみたが、天気がいまいちで目が覚めるようなコバルトブルーのカリブの海は拝めなかった。残念・・・

今日は、そんなビーチを散歩したりして終了。久しぶりんいのんびりした1日だった。


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2007年9月5日(水)
チェ・ゲバラ
最近毎日移動してるが、ちなみに現在いる町はサンタ・クララというところ。

  

ここには、チェ・ゲバラの霊廟がある。日本でも、その名前くらいはほとんどの人が1度は耳にしたことがあるだろう。ただ、チェ・ゲバラが一体どんな人で、何をした人かまで知ってる人は少ないだろう。

ということで、チェ・ゲバラが一体どんな人間だったかというのを、俺がここで分かり易く簡単に説明したいところだが、実のところ、俺もほとんど何も知らない・・・3年くらい前にチェ・ゲバラの半生を描いた映画を観たことがあるくらいで、彼のことはほとんど知らない。

要するに、キューバといえばチェ・ゲバラということで、ミーハー気分でやってきたのだ。すいません・・・

だって、キューバのいたるところで、チェの壁画や写真、お土産屋に行けば、絵ハガキからTシャツといった具合に、毎日チェの顔を見ないと言ってもいいくらいに、その顔を見てるんだから、行ってみたくなるのも仕方がない。正直、カストロさんより人気あるんじゃないのかな。そんな気さえしてくる。

こうして、やってきたチェ・ゲバラ霊廟。少しはチェへの造詣を深めようと思っていましたが、解説がすべてスペイン語でほとんど何も分かりませんでした・・・

日本に帰ったら、彼についての本でも1冊読んでみるか、そう思いつつ霊廟をあとにしてきました。


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2007年9月4日(火)
久しぶりのご飯
昨日の夕食は、泊まってる宿に頼んで作ってもらった。(ちなみに、シエンフエゴスという町に滞在している。)

  

最近ちゃんとしたもの食べてなかったし、、キューバの家庭料理も食ってみたかったんで頼むことにした。

メニューは、ご飯・スープ・豚肉を焼いたもの・フライドポテト・アボカド・スイカジュース・アイスクリームというラインナップ。まあ、これがキューバの家庭料理かといえば、それはちょっと疑問だが、それにはあまり触れないでおこう。

それよりも、久しぶりにご飯というかお米を食った。首都のハバナの中華街で食べて以来だから、1週間以上ぶりだ。しかもキューバに来て米を食ったのは、まだこれで2回目!やはり、日本人は米ですな!日本のと違ってパサパサした白御飯だが、そんなことは今となっては気にならない。やはりお米は美味い!そう思わずにはいられなかった。

久しぶりのまともな食事に大満足の俺らであった。


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2007年9月3日(月)
客引き
昼のバスでトリニダーを離れるということで、昼御飯を食べてそろそろ宿を出ようかとしていると、宿のおばあちゃんが相も変わらず、「サティスティーン!サティスティーン!」と俺に声をかけてくる。「なんだい?おばちゃん。」と返事をする。

「今からバスターミナルに行くのよね?もし良かったら私も一緒に行くから、着いたバスから降りてくる客に、サティスティーンからうちの宿を薦めてくれない?」
要するに、俺に客引きをせいってことですな。はいはい、わかりました。サティスティーンはやりますよ。そう言って客引きを引き受けることに。

バスターミナルに行くと、ちょうどバスが着いたばかりのようで、たくさんの客が降りてきた。しかも、その中に日本人のカップルがいたんで、その人たちに話しかける。
「宿って決まってます?もし決まってないなら、このおばあちゃんの宿どうですか?ふつうにいい宿ですよ。」と薦める。そのカップルも、特に決まった宿があったわけでもないようで、それならそこでと言って、おばあちゃんの宿に決めてくれる。

こうして、あっさりとおばあちゃんに客を紹介してやることができた。いいことをした。おばあちゃんも、さぞや喜んでるだろうと思って、おばあちゃんの方を見ると、すでにそこに姿はなく、さっさと次の客を連れてその場を後にしていた・・・俺らに、ありがとうってお礼くらい言ってくれてもよさそうなものなのに・・・

こうして、客引きの手伝いをさせられたわりには、何の感謝もされることもなく、俺らは次の町へと旅立つのであった。

あの人も、名前間違えられてなかったらいいんだけど・・・


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2007年9月2日(日)
バナナ
今日は、キューバの古都トリニダーの町をぶらぶらと散歩。世界遺産に登録された町らしく、なかなか趣があってよろしい。ただ、小さな町なんで2〜3時間もあれば見終わってしまう。

宿に戻り、飯でも食うかと食い物を買いに行くことに。食い物といっても、ピザか肉だけのハンバーガーくらいしか買うものはないが・・・そんな食生活のせいか、ここのところ野菜を全然食ってない。食ってないというより、食いたくても食えないといった方が正しい。野菜を買ってくるのは難しいんで、せめて果物くらい食いたいと思い、果物を買うべく町に出る俺。

果物を買いに出たはいいが、いったいどこに売ってるんだ?この町に、、というよりこの国で八百屋なんて見かけたことないしな。とりあえず大通りに出れば、売ってるかもしれないと、大通りまで行き通りを歩いてみるが果物は何一つ売ってない。

そのあと、果物を買うべく適当にぶらぶら歩いてると、子供連れの観光客がいて、その子供が手にバナナを握り締めている。お〜!バナナだ!バナナ!バナナを持ってるぞ!バナナを見ただけで、それだけ喜べるんだからすごい。俺は、恥を忍んでその子の親に、
「そのバナナを恵んでください。」
と頼んだ。
それは冗談だが、その子の親に、
「そのバナナどこで買いましたか?」
と尋ねる。
「ああ、これならそこの通りをまっすぐ行ったところに、おじいいさんが通りに座って売ってるから、そこで買えるわよ。」
と教えてもらう。

お〜!これでバナナが買えるんだなと思い、胸が高鳴る俺。バナナを買うというだけで、これだけ喜べる俺っていったい何なんだ?そんな疑問がふとこみあげてきたが、この際そんなことはどうでもいい。とにかく、バナナが買えるわけだ。とにかく嬉しいぞ!

バナナのありかを教えてくれた家族にお礼を言って、急いで教えてもらった通りを歩いて行くと、確かに売ってるじゃないか、バナナが!黄色いバナナが!1房60円で!

こうして、夢にまで見たとは大げさだが、探し求めていたバナナをゲットすることができた。宿に戻って、嫁さんにバナナを買ってきたのを見せると、嫁さんも大喜び。二人で、バナナ!バナナ!と大喜び。

たったバナナ1房で、これだけ幸せになれるとは夢にも思わなかった。バナナ万歳!


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2007年9月1日(土)
サティスティーン
バラコアからバスを乗り継いで、トリニダーという町までやってきた。

  

朝の6時半に着いたというのに、宿の客引きがわんさかと待ち構えている。バスを降りて眠い目をこすりながらいつものように交渉をする。最終的に、人の良さそうなおばあちゃんの家に決める。

宿に着き宿帳に名前を書いて、おばあちゃんに自分の名前を紹介する。僕の名前は、SATOSHI です。
日本から来ました。そんな感じで、簡単なあいさつをすませる。おばあちゃんは、日本から来たのね!ようこそ、キューバへ!と返してくれる。まあ、どこの宿でも展開されるありきたりな光景だ。

その5分後くらいに、おばあちゃんが俺に話しかけてくる。「チャティスチェ!チャティスチェ!」と話しかけてくる。うん?『チャティスチェ?』 そんなスペイン語知らないぞと思っていると、どうやら俺の名前を呼んでるようだ。何がどう間違ったか知らないが、俺の名前はたった5分の間に、『チャティステェ』になっていた。すぐに、おばあちゃんに俺の名前は、『チャティステ』じゃなくて、『SATOSHI』だよと訂正する。おばあちゃんも、ごめん、ごめんと言って謝ってくる。外人の名前って難しいからな、そう思ってやり過ごす。とにかく俺の名前は『チャティステェ』じゃなくて、『SATOSHI』だ!分かってもらえただろう。何だかんだ言って、自分の名前は間違って欲しくないものだ。

夜行で着いたんで、昼までゆっくりするかと休憩してると、おばあちゃんがやって来て、俺に話しかけてくる。
『サティスチェ!サティスチェ!』と、またしても意味不明な呪文を語りかけてくる。今回は、すぐに自分の名前を呼び間違えてると分かったんで、すぐに「サティスチェじゃなくて、SATOSHI だよ。」と訂正する。おばあちゃんも、ごめん、ごめん、年だからすぐ忘れちゃうのよみたいな感じで答えてくる。「もう、間違えないから。サティシュ よね!』 そう返事を返してくれるが、そう言った矢先から、すでに『SATOSHI』の発音がおぼつない・・・ホントに俺の名前ちゃんと覚えてくれたんか!そう思わずにはいられない。

しかし、現実はそう甘くなかった・・・ というか、予想通りの展開を見せる。夕方、またおばあちゃんに話しかけられた時は、『サティスティーン、サティスティーン!』と呼ばれていた。呼ばれるたんびに変化する俺の名前・・・ もはや、訂正する気も失せて、俺の名前は『サティスティーン』で落ち着くことに・・・

その後、何度『サティスティーン』と呼ばれたことだろう・・・


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