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2008年9月30日(火)
レシフェ
朝、レシフェに到着。
 
 

嫁さんが夜行バスであまり寝れず、調子が良くないってことで、今日の観光は明日にまわすことにした。

ブラジルはでかい国だから、物価高と併せて節約のためにも夜行バスでの移動は必須。しかし、バスの中であまり眠れないたちの嫁さんには、少々ブラジルでの移動がハードそう。基本どこでも寝れる俺には、嫁さんのつらさなどほとんど分からないんだけどね(笑)。

そんな状況だが、明日も夜行バスでの移動が待っている(笑)。頑張れ、我が嫁よ!


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2008年9月29日(月)
バイーア料理
サルバドールは、飯も美味い。

      

ここに来てからはまっているのがコレ。アカラジェっていうスナック。カレーパンみたいな生地に、オクラのペースト、トウモロコシの粉、ココナッツ、エビなんかをすりつぶしたペースト、これに干しエビや野菜を挟んで食べる。

町中の屋台なんかで、どこにでも売っているサルバドールを代表するスナックだ。

オクラのネットリ感と、エビのダシがきいたペーストが美味さのポイント。しかもけっこうボリュームもあるんで、1個食べればけっこうお腹いっぱいになる。

俺は、好きで毎日食ってるが、嫁さんはちょと重たいようで俺ほど好物ではなさそう。

そして、今日の昼はサルバドールのあるバイーア州の料理がブッフェ形式で食べられるレストランで昼食。値段はちと高いが、一度にいろんなバイーア料理が楽しめる。料理学校併設のレストランなんで味はお墨付き。

 

ここでは、いろんな味のムケカが一度に楽しめた。ムケカもバイーアを代表する料理。ココナッツミルクとデンデ油というヤシから取る油でシーフードを煮込んだ料理。

なかなかシーフードは食べられないんで、これだけでもけっこうお得感があった。

今日も夜行バスでの移動なんで、晩飯分までしっかり食す(笑)。脂っこい料理が多かったせいか、食後少し胸やけがしたが…

独特のアフロ・ブラジリアン文化の町サルバドール。もう少しいたかったが、先があるので名残惜しくはあったが、夕方の夜行バスでサルバドールを後にしたのであった。


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2008年9月28日(日)
カンドンブレーに行ってきた
一昨日見れなかったカンドンブレー。

今日は、一昨日行ってるんで市バスを使ってテヘイロ(カンドンブレーの儀式の会場)まで行くことにした。特に問題なくテヘイロに到着。

お!今日は、テヘイロの周りになにやら人がたくさんいるぞ。しかも、みんな白い服を着た人ばかり。自分らも、カンドンブレーに行く時は、白い服を着て行けと聞いていたので、ちゃんと白い服装で来た。

開始は20時ということで、始まるまで適当に時間をつぶしていたら、英語を話せる白人の女の子に話しかけられた。彼女は、サン・パウロに住んでるブラジル人なんだけど、このカンドンブレーの信者で、今日はわざわざこの日のためにサン・パウロからサルバドールまでやってきたらしい。

ポルトガル語の分からない俺らに、写真説明は禁止だとかいろいろと英語で、彼女に説明してもらった。そして、今日は『オルドゥン』っていう神様を祭る儀式が行われる日だそうだ。

カンドンブレーには、自然界を動かす力を持った16の神様がいて、それぞれの神が何かのシンボルとなっており、さらにそれぞれにシンボルカラーがある。

たとえば、シャンゴっていう神様だと、雷・稲妻や火の神様で、シンボルカラーは赤といったように。

そして、今日のそのオルドゥンはというと、カンドンブレーの主神で一番偉い神様のようだ。シンボルカラーは白。だから、みんな白い恰好をしているというわけだ。

主神を祭る日とあって、1年の中でも今日がカンドンブレーの儀式において一番重要な日だそうだ。

そんな重要な日の儀式が見れるなんてラッキー!一昨日は空振りに終わったけど、二日待った甲斐があった。

こうして、予定より30分くらい遅れてカンドンブレーの儀式が始まった。

太鼓のリズムに合わせて、みんなが歌い始める。リード・ボーカル的存在の人がいるが、なんと一昨日俺らをバス停まで送ってくれたおじいちゃんだった。今日は、この前と打って変わって神妙な面持ちで歌っている。

そのあと、白い衣装に身を包んだ女王さまみたいなおばちゃんが出てきて、テヘイロの上座に腰かけた。

それから、信者だろうかいろんな人が歌い踊りながら、テヘイロの中央で円を描きながら踊っている。そして、女王様っぽいおばちゃんの前にきたら、ひざまずいて日本でいう土下座をして通過していく。

そんなことを延々と繰り返して行くうちに、一人二人とトリップした人が出てきた。いきなり痙攣でも起こしたように、ビクンとなって頭や体全体を前後左右上下と揺らしだす。中には、立っていられないような人もいた。

トリップした人は、周りの人に支えられながら女王様の前に並べられた椅子に順次座らされていった。座った後も、それでも頭や体は揺らし続けていた。

こんな感じで儀式は5時間以上休みなく続いた。トイレにも行けないし、水も飲めない。途中、白いトウモロコシの粉をふかしたやつと、青りんごが振る舞われたくらい。この二つもしっかり白を意識しているところが、またすごい。

写真も動画もないし、言葉だけではなかなかその異様な雰囲気は伝わらないと思うが、とにかく密教っぽい感じは120%出ていた。

こうして、夜中の2時過ぎにようやく儀式も終了。

さすがにこんな時間になってしまい、タクシーもつかまるか心配していたところに、儀式が始まる前に話した女の子が俺らのところまで来てくれた。

これから、今日の打ち上げというか、食事が振る舞われるから食べていかないというのだ。

確かに、腹も減ったし、どうせ今帰っても飯食って帰っても大して変りないし、お言葉に甘えてご馳走になることにした。

テヘイロ内にある食堂に案内されて、最初に目に入ってきたのが、テーブルの上に置かれたほんのり緑がかったご飯。

これを見て、密教の食事だし、きっと薬草とかそれ系の物が入ったご飯だろうと想像してしまう。カンドンブレーに伝わる薬草だかなんだかで炊き込んだものに違いない。そう考えた方が、いかにも密教っぽくもあるし(笑)。

席に着いて、その謎のご飯を恐る恐る口に運んでみる。

パクッ!

………

う、うめぇ〜!

なんと、怪しげな薬草ご飯と思っていたのは、ブルーチーズのリゾットだった。ちゃんとシェフが厨房にいて、彼らが作ったご飯のようだ。

そのあとも、ラザニアみたいなやつや、鰯の酢漬けとかどれもこれも美味いものばかりが出てきた。

いやぁ〜、最初に緑のごはん見た時は、俺ら一体なにを食べさせられるんやろうって思ったけど、蓋を開けてみりゃ、どれもこれも美味いもんばっかりで、最後は腹いっぱいになってた。ご馳走さまでした。

密教儀式なんて、もちろん今回初めて見にきたが、期待に違わずインパクト大な儀式だった。


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2008年9月27日(土)
カポエラ
カポエラって、日本でもたまにテレビで紹介されたりするんで知ってる人もいるとは思うが、そのカポエラはここサルバドールが発祥の地。

ビリンバウっていう弦楽器と太鼓、あと歌声にあわせて、1対1でお互いに技を繰り出す格闘技。格闘技といっても、相手に打撃をあたえるわけではなく、寸止めの格闘技。楽器や歌があるんで、どことなく民族舞踊的な感じがしないでもない。

そんなカポエラは、もともとここに連れて来られた黒人奴隷が、自分の身を守るためにあみだした護身術らしい。といっても、奴隷の身分で格闘技なんてやるわけにはいかないいんで、踊りの練習をしているようにみせかけるために、歌ったり楽器を奏でたりしていたから、このようになったようだ。だから、技を繰り出しながら踊ってるように感じるわけだ。

サルバドールには、そんなカポエラ道場がいくつもあり、ブラジル人だけじゃなく、旅行者で習ってる人もいる。日本人も習ってる人がいた。

町の広場なんかでも、観光客からのチップ目当てで実演をやっている。もちろん、写真を撮ってるところを見つかれば、チップを請求されるんで、大体の観光客は遠目からズームをきかせて隠し撮りするっていうのが大半。

でも、せっかくのカポエラだし、いい写真とか動画も撮りたいんで、今回はケチらずにチップを払って写真を撮ることにした。払ったっていっても、二人で5レアル(約350円)だけど(笑)。

チップを払った甲斐もあって、サービス精神旺盛なカポエラマン達が、いろんなポーズを俺らのためにしてくれた。鍛え上げられた黒人の肉体から繰り出す技は、しなりがあって凄かった。

 

      

 

 

最後は、強制カポエラスタイルで一緒に記念撮影(笑)。


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2008年9月26日(金)
カンドンブレー見れず…
サルバドールには、黒人密教カンドンブレーなるものがある。アフリカから連れて来られた黒人奴隷の間で生まれた宗教で、キリスト教へ改宗させられる中で、特に西アフリカの宗教の影響を受けて独自に発展してきた密教のようだ。

このアフリカ起源の宗教儀式であるカンドンブレーは、本来、部外者には非公開というのが建前となっているんだけど、最近では一般にも公開したりしているとのこと。

ただ、儀式が行われる特定の日と場所(テヘイロっていうらしい)は決まっている。観光案内所で日時と場所を教えてくれるということなので、今日の昼に確認に行ったら、ちょうど今日の夜あるということで、時間と場所を聞いてきた。

夕方、場所がちょっと遠いのと市バスでどう行ったらいいか分からないこともあって、Kちゃんと3人タクシーで行くことに。

20時から始まると聞いていたから、はりきって19時前に到着。小さな集会場のようなところで降ろされた。

そこに人がいたんで、これはテヘイロかと聞くとそうだと言う。おぉ〜、そうかこれがテヘイロか。無事に着けたみたいでよかったと思っていたら、そのあと今日はカンドンブレーはないよと予想外のことを言われる。

えっ?でも、今日カンドンブレーがあるって聞いてきたんだけどというと、今日はリハーサルで本番は明後日だという。

そ、そんな…今日あるっていうからわざわざタクシーまで使って来たのに。あの観光案内所の女め、ちゃんと仕事してくれよ。

納得いかないでいると、ちょうどテヘイロからおじさんとおじいちゃんの二人組が出てきた。見た感じカンドンブレーの関係者といった感じだったんで、二人に今日はカンドンブレーはないのかと聞いたら、今日じゃなくて明後日だよと言う。

うぅ〜、やはり今日はないのか。残念…また、明後日出直すことにするか。

帰りは、まだそんなに遅い時間でもないんで、市バスで帰ることにした。この二人に帰り方を聞いたら、どうも1回途中どこかで乗り換えをしないといけないようだ。

でも、おじいちゃんのほうが親切にもバス停まで一緒に行って、バスの運転手に乗り換え地点で降ろしてくれるように運転手に頼んでくれるという。

やさしいおじいちゃんだ。こっちがほとんどポルトガル語分からないのに、そんなのおかまいなしというかまったく気にしていないようだ。途中、ガハハとか笑いながら、次から次にいろいろと聞いてくる。

正直、何を言ってるかはさっぱり分んない。でも、そのおじいちゃんの底抜けの明るさのせいか、なんだか分からんが、こっちも言ってることがわかってるような気になってくるから不思議だ。

そして、さっきまでちょっとへこんでた気分も、おじいちゃんと話してたらなんかどうでもよくなってきた。

ほんと、このおじいちゃんみたいにブラジル人ってのは心底明るい人間が多いなぁ。


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2008年9月25日(木)
サルバドール
サルバドールに来た。ここは、ブラジルのなかで来てみたかった町の一つ。

 

人口の80%を黒人と、黒人とインディヘナの混血が占めるのがここサルバドール。

バスターミナルに着いてすぐに思ったが、確かに黒人系の人の割合が、今までのブラジルの他の都市にくらべてめっちゃ多い。

      

 

かつてここで盛んだった砂糖産業のための労働力として、多くの奴隷がアフリカからサルバドールに連れてこられたことによるらしい。そのため、独自のアフロ・ブラジリアン文化があるこの町は、ブラジルの他の町にはないおもしろさがあるよと、いろんな旅行者から聞いていた。そのへんについては、また明日以降観光して書いく予定。

というのも、さすがにここ1週間でバス泊3日で、日中もみっちり観光したりしてたんで疲れた。ということで、今日はたまった洗濯したりして宿でゆっくりしようということになったもんで。

バスターミナルからは、いつものように乗りにくい市バスを使って目的の宿に到着。ここで、ギアナ3国やブラジルの北の方を周って南下して来たKちゃんと落ち合う。Kちゃんは、同じ九州の佐賀出身の女の子。この旅で再開するのも今日で4、5回目?。ちょくちょく会ってるんで回数忘れた(笑)。

Kちゃんには、これから自分たちが行く予定のブラジル北部やギアナ3国の情報を教えてもらう。特に、ギアナ3国はほとんど日本人旅行者が行かないんで、いろんな生の情報がもらえて助かった。ありがとう、Kちゃん。

そんなKちゃんとの再会と、何日か前に誕生日だったというKちゃんの誕生日のお祝いってことで、今日の晩はサン・パウロで仕入れてきた日本のルーを使ったカレー。

なんでも、昔は毎週土曜日はカレーの日だったというカレーバカ(Kちゃん、ゴメン)のKちゃんには、いいお祝いになったんじゃなかろうか(笑)。

ワインやビールも飲んだりしていい気分になったら、猛烈に眠くなってしまった俺は、一足先に就寝。今日は疲れてるから早く寝るとか言っていた嫁さんは、Kちゃんと女話で盛り上がったようで、3時くらいまで話し込んでいたみたいだ。

とりあえず、サルバドールには4,5日いて少しばっかしゆっくりしようかな。


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2008年9月24日(水)
テーブルマウンテン
そもそも、ここレンソイスは何が有名かというと、テーブルマウンテン。テーブルマウンテンといえば、ベネズエラが本場というか有名なんだが、ブラジルでもここでテーブルマウンテンが見れちゃうわけだ。

でも、自分らはベネズエラにも行く予定なんで、それならわざわざここに来る必要もないといえばないんだが、どっちかというと昨日の滝すべりがしたかったから来たようなところもある。

ただ、せっかくここまで来たのにテーブルマウンテンを見ずに、次の町に行くのもどうかと思ったし、それ以外にもいくつか自然のきれいな見どころが多いみたいだ。

町にあるいくつかのツアー会社が、そんな見どころを周る1DAYツアーをやっているんで、今日はその1DAYツアーを申し込んで観光してきた。

まず最初に行ったのは滝。昨日の滝とは違う。

昨日の滝もそうだったけど、この辺りの土はタンニンをたっぷり含んでいるから、水が黒っぽい色になるんだとか。

      

ここで、しばしのスイミングタイム。ただ、自分らは昨日滝で泳いだし、今日はちょっと曇りで寒いのもあったんで泳がなかった。一緒のツアーの欧米人・ブラジル人はというと、ちょっと寒いにも関わらずほとんどみんな泳いでいた。こういうのを見ると、やはりやつらと俺らとの体感温度の違いをいつもながら感じてしまう。

 

         寒いのにノリノリのお姉さん

お次は、今日のメインのテーブルマウンテンへ。

 

ドーンとそびえるテーブルマウンテン。確かに、名前のとおりテーブルみたいな形をしてやがる。

 

テーブルマウンテンの頂上にも行った。5合目くらいまで車で行って、そっから上は徒歩で。

 

            頂上からの景色

これを見て、嫁さんはベネズエラのテーブルマウンテン行かなくてもいいんじゃないとか冗談言ってた(笑)。あっちは山頂往復で5泊6日の行程らしいから、確かにこっちのほうがはるかに楽だ。

 

そういえば、登り口付近で黒いバッタをたくさん見つけた。ちょっとグロい。

テーブルマウンテンのあとは、きれいな池のほとりで昼食。

 

そのあとは、今日の最後となる鍾乳洞に行って終了。

 

ツアー終了後はというと、今日も夜行バスで移動。最近、バスで寝ること多いなぁ。


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2008年9月23日(火)
滝すべり
ブラジリアからの夜行バスで、途中1回乗り換えをしてレンソイスに到着。

 

ブラジルには、もう一か所同じ地名のレンソイスってところがある。そちらにも、今後行く予定。

バス停近くの宿にチェックインし、昼まで少し休憩。

休んだ後は、昼から観光。向かった先は、町のはずれにある徒歩で小1時間ほどのところにある滝。

 

滝といっても、今日来た滝はというと滝すべりができる。上の写真は、立って滑ってる現地人。

     

座ったままでも滑れる。でも、ケツが痛い…

 

滑りすぎると、水着も破れる(笑)。

もちろん、俺らも滑ってきた。やるつもりのなかった嫁さんも、俺の水着をはいて楽しそうに滑っていた。

おかげで、当然の如く俺の水着にもお尻に穴が開いてしまったが…

久しぶりに、滝すべりなんかしてはしゃげて楽しかった。

あ〜、それにしても滑りすぎでちょっとケツが痛ぇ〜。


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2008年9月22日(月)
引き続き、ブラジリア観光
昨日に引き続き、今日も朝からがんばって観光。

 

  昨日の夜行ったカテドラル・メトロポリターナの中

      

          ボア・ボンタージ寺院

この寺院は、世界の平和を願って、既成の枠を超えたすべての宗教のための祈りの場として建てられた寺院だそうな。

ピラミッド型の建物の頂には、世界最大のクリスタルが据えられている。

そして、この建物を見学している時に、日本に来たことがあるというここで働いているというブラジル人に話しかけられた。俺らが日本人ということで、ぜひ会わせたい人がいるというので、あまり時間がなかったけど、せっかくだから会ってみることにした。

誰にお会いしたかというと、下の写真の真ん中の方。

 

ブラジリアに住んでいる日系1世の方で、名前は篠田ウマゾウさん。何でもブラジルでは有名な画家の方らしく、昨日行った外務省にもこの方の絵が飾られていたそうな。ブラジル大統領から日本でいう文化勲章みたいなものまでいただいたことがあるそうだ。

しかも、驚くことに今年で96歳(だったかな?)!足取りもまだまだ軽快だし、話しぶりもシャキシャキされていて、本当に元気なおじいちゃんといった印象だった。

篠田さんとのお話を終え、あまり時間も残されていないので、ばたばたと次のテレビ塔まで移動。

      

高さ218mあり、75mのところにある展望台まで行くことができる。飛行機の部分でいうと、胴体のちょうど真ん中あたりにあって、ブラジリアの町が展望台から一望できるようになっている。

 

           展望台からの眺め

テレビ塔のあと最後に行ったのは、ドン・ボスコ教会。

ここの教会は、今まで見た教会の中では一番いい!

 

なんと、四方の壁が全面ステンドグラス!

      

 

 

 

青で囲まれた空間は、海底の中にいるような感じでとても神秘的。

ブラジリアでいろいろ観たけど、ここが一番好きなところだった。

こうして、休む間もなかった1泊2日でのブラジリア観光を終え、夕方発の夜行バスで次の町へと移動。

人によってはつまらないという話も聞くブラジリアだったが、いろんなおもしろい建物、特にドン・ボスコ教会が見れただけでも来た甲斐があった。


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2008年9月21日(日)
ブラジリアの建物
朝、夜行バスでブラジリアに到着。

 

明日の夜行バスのチケットを購入して、お目当ての宿へと市バスで移動。

目当ての宿もすぐに見つかり、チェックイン。荷物を部屋に置いたらすぐに観光へ。ブラジリアは宿代が高いんで、今日明日で観光を済ませて明日の夜行バスでまた移動だから時間がないもんで。

ここブラジリアは、1960年にリオ・デ・ジャネイロから新しく移されてできたブラジルの首都。世界でも稀な『過去を持たない首都』。

1955年に当時のクビチェック大統領が、ブラジルの中央高原に新首都を建設するというユートピア案を発案。『50年の進歩を5年で』というスローガンのもとに建設されたとのこと。

都市計画には、ブラジル建築界の巨匠、オスカー・ニマイエルとその師であるルシオ・コスタの二人を起用して建設。オスカー・ニマイエルは、国連ビルの設計者でもあるらしい。

都市計画は、『パイロット・プラン』というコンセプトで進められ、ジェット機型に整えられた区画に奇抜なデザインが配された近未来を思わせるような都市となっている。

と、ブラジリアの出来た経緯をいろいろと書いてみた。

上に書いたように、ブラジリアの見どころはその計画都市の中にあるおもしろい建築物。というかそれだけといってもいい。建築に興味のある人やおもしろい建物をみてみたいという人にはいいが、そうでない人には何の面白みもないところでもある。

そんなブラジリアのおもしろい建築物をいろいろと見てきたから、あとは写真で。

 

             国会議事堂

 

           夜の国会議事堂

国会議事堂は、左のお椀を伏せた形の建物が上院で、右側の受け皿みたいな形の建物が下院。

 

              外務省

 

            夜の外務省

この前、日系移民100周年の式典に日本の皇太子がここに来たらしい。

 

           ブラジリアの地図

なるほど、こうやって見たら確かに飛行機の形になってるのがよく分かる。機首の部分に国会議事堂とか大統領府のなんかの政府機関があって、翼の部分が住宅地になっているそうだ。

      

      カテドラル・メトロポリターナ(大聖堂)

 

             最高裁判所

 

             大統領府

       

             夜の広場

 

   何の建物かは忘れたけど、惑星みたいな建物

夜の方が建物が照明で闇に浮かび上がる感じで、昼間よりもきれいで印象的だったかな。


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2008年9月20日(土)
ミナス料理
昨日の夜コンゴーニャスからオーロ・プレットに到着。

 

ここは、かつてブラジルの黄金郷として経済の中心を担ってきたらしい。オーロ・プレットのオーロもポルトガル語で『金』って意味だから、さぞかし金が採れたことだろう。

そんな昔の繁栄があったからかどうかは知らないが、オーロ・プレットはブラジルで最も料理が美味しい地方らしい。オーロ・プレットがあるのがミナス・ジェライス州ということで、ミナス料理というそうだ。

ちょうど、ミナス料理を昼にビュッフェ形式で食べさせてくれる店があったので、これなら一度にいろいろ食べれるから食べに行った。

いくつもミナス料理があって、それぞれ美味しかった。その中で自分が一番気に入ったのは、フランゴ・コン・キアーポというオクラとチキンの煮込み。というより、久しぶりにオクラが食えて感激(笑)。もちろん、味付けも良かったけどね。

 

         フランゴ・コン・キアーポ

食べ放題ってことで、いつものことながら食いすぎてしまう。でも、物価の高いブラジルなんで、食費を浮かすためにも食べられる時に食べておかなければ。晩飯分までしっかりいただいてきた。

こうして、重たい腹を抱えながら残りの観光をして、夜行バスで、次の町であるブラジルの首都ブラジリアへと移動したのだった。


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2008年9月19日(金)
ブラジルの市バス
午前中は、コンゴーニャスの世界遺産にもなっている教会を見学。詳しい説明は嫁さんのブログにのってるんで、そっちをご覧あれ。

それよりも、今日の話題はブラジルの市バス事情。タクシーは高いんで、市バスはよく利用するんだけど、ブラジルの市バスはかなり煩わしい。なにが煩わしいかとういと、これ。

 

バスのなかにあるこの回転バー。横にいる料金係にお金を払ってこのバーを回転させないとバスの奥に進めないシステムになっている。手ぶらなら何の問題もないが、大きなリュックを背負ってこれを通過するのは無理なんで、いつも重たいリュックを持ち上げて、バーの上を通過させないといけない。

      

これが毎度のことながら面倒くさい。ただ、バスの運転手も俺らがでかいリュックを持ってるのを見ると、前からじゃなくて、とりあえず後ろのドアからバスに乗って荷物を置いて身軽になってから、前のドアから乗れとか言ってくれることもある。

でも、ここコンゴーニャスのバスでは、こっちが後ろから乗ってもいいかと頼んでもダメと言われた。ということで、昨日も今日も重いバックパックを、乗客の助けも借りながらバスに運び込んだのだった。

ブラジルの市バスのこのシステムだけは、どうにかならないもんかなぁと乗るたびに思うのだった。


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2008年9月18日(木)
コンゴーニャス
サン・ジョアン・デル・ヘイからコンゴーニャスへ移動。

 

町についてから、なかなかいい宿が見つからず宿探しには苦労した。安いところは汚い所ばっかりなもんで、結局、散々探し回って最後は70レアル(約4900円)の宿に決めた。高いというか高すぎるが、1泊だけだししょうがないかと思って。豪華な朝飯とWIFIがあるんで良しとしましょう。

チェックインした時間も遅かったんで、豪華?ホテルでのんびり過ごして今日は終了。


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2008年9月17日(水)
サン・ジョアン・デル・ヘイ
夜行バスで朝の4時頃にサン・ジョアン・デル・ヘイに到着。



さすがにこの時間に宿探しは無理ってことで、バスターミナルのベンチで夜が明けるのを待つことに。サン・ジョアン・デル・ヘイは高地にあるせいか、かなり寒い。二人とも寝るわけにはいかないんで、俺が荷物番で嫁さんはベンチで横に。

 

       着こめるだけ着こんで寝る

明るくなって7時頃に市バスで街まで移動。まだちょと早いかなとは思ったが、お目当ての宿に行ったら、快くこの時間でもチェックインさせてくれた。

ラテン人、特になかでもブラジル人はこういった融通を利かせてくれるから、こういう時は本当にありがたい。日本だったらこんな時間に追加料金なしでは絶対にチェックインはできないだろうから。

宿で仮眠をとったあと、昼から観光。特に見どころがあるってわけじゃないけど、古い町並みがきれいでのんびりした雰囲気が心地よい。

途中、何気なく入ったカフェで食ったポン・ジ・ケージョが美味かった。ポン・ジ・ケージョとは、ブラジルのどこにでもあるスナック。チーズとマンジョーカっていう芋の粉を混ぜて焼いたやつで、モチモチした触感で美味い。

特に、サン・ジョアン・デル・ヘイのあるミナス・ジェライス州が、ポン・ジ・ケージョ発祥の地で本場のせいか、今日食ったやつはかなり美味かった。ついつい追加でおかわりまでしてしまった。

ポン・ジ・ケージョを食った後も、しばらく町をぶらぶらしてから宿にもどった。

サン・ジョアン・デル・ヘイ、特にこれが見どころだってものは何もなかったけど、ポン・ジ・ケージョの美味しい町だった(笑)。


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2008年9月16日(火)
市内観光
今日は、リオ市内の観光へ。リオに来てから、毎日天気が優れない。今日も朝から小雨が降っているが、あの宿にいるよりかはマシだし、雨の中観光してきた。

 

            リオの水道橋

この橋の上には、線路が通っていて市電が走っている。

      

         カテドラル・メトロポリターナ

バカでかいピラミッドみたいな形をした、なんだか近代的な教会。

      

      

中の壁はステンドグラスで覆われていてキレイ。

 

これがさっきの水道橋の上を走る市電。リオは、複雑に入り組んだ海岸線とたくさんの丘でできた街なんで坂が多い。日本だと長崎みたいなところだろうか。ということで、市民の足として今でも市電が活躍中。でも実際は、今では観光客用の観光列車って感じ。もちろん、地元の人も利用しているけど。

      

水道橋の上の線路。ここを通ってリオの坂道を駆け上がって行く。

 

途中の坂道。歩けないこともないが、市電の方が安くて楽ちん。

 

途中、昨日行ったマラカナンスタジアムが見えた。やっぱ、でかいなぁ。

このあと、本当は有名なリオのビーチなんかにも行きたかったけど、天気がよくないんで断念。

どうも雨季に入りかけたのか、このまま天気もよくない天気が続きそうなんで今日の夜行でリオを後にすることにした。

リオには、2月にもう一回カーニバルを観にくるんで、残りの観光はその時にすることにしよう。

でも、実際のところはちょっと気が滅入るあの宿から早く脱出したかっただけかもしれないけど(笑)。


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2008年9月15日(月)
マラカナンスタジアム
ブラジルのサッカーの聖地・マラカナンスタジアムを見学してきた。

収容人数11万5千人というばかでかいこの競技場は、試合のない時は博物館として開放されていて、中も一部見学できる。ブラジルといえば、やはりサッカーははずせないということで、サッカーに興味のない嫁さんを無理やり誘って観に来た。

まず、競技場の入口にあったのがブラジルの歴代名選手の足形。もちろんジーコのやつもあったし、ペレもあった。

 

      

あと、20年くらいしたらロナウドとかロナウジーニョの足形もここに追加されるんかなぁ。

 

上の写真は、スタジアムの観客席から見た競技場。でかすぎて、カメラに収まりきれない。ここが満員になった時の迫力は半端ないだろうな。

お次は、競技場内部の様子。

      

        たぶん、ミーティングルーム?

 

        ウォーミングアップルーム

 

             ジャグジー

おぁ〜、ここでかつてジーコやらペレ、今だとロナウド、ロナウジーニョ、カカといったブラジルの名選手が、アップしたり、ジャグジーで汗を流したりしてるんかと思うと、なんかだか舞台裏を見れた気がしてちょっと感激。

 

       ピッチレベルから見たベンチ

 

          ピッチへと続く階段

もし自分がサッカー選手で、ブラジル代表のユニフォームを着て、この階段を上がって行くって考えただけでも、しびれるなぁ〜。

そんな夢が叶えられる選手は一握りって考えると、この階段が神秘的に見えてきた(笑)。

 

そうそう、2014年のワールドカップはブラジル開催。決勝戦は、きっとここで行われるはず。

観に来てえなぁ〜。ワールドカップ。最後は、そんな淡い夢を抱きながら、マラカナンを後にしてきた。


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2008年9月14日(日)
リオの安宿
カーニバルで有名なリオ・デ・ジャネイロにやってきた。

 

世界的にも有名なリオの街だが、犯罪の多い街としても有名。実際、ここで強盗にあったっていう旅行者に会ったこともある。

そして、今日はよりによって日曜日。街中にひとはまばら。バスターミナルから街中まで市バスで移動するとき見た街の様子も、あんまりいい感じとはいえない。乞食も今までのブラジルの街と比べたら、格段に目につく。う〜ん、今まで以上に気を引き締めて行動しないとまずそう。

あと、リオにはいい安宿がなくて困るというのも他の旅行者からよく聞く話。今回自分たちが泊まる宿も、お世辞にもきれいとは言えない。泊まってる客も、半分くらいは出稼ぎに来た住み込みの住人といった感じ。それでも、1泊2人で30レアル(約2100円)もするから全然安くない。

宿全体もなんだかジメジメしてるし、窓もきちんと閉まらないから蚊が入り放題。

それだけならまだしも、夕方天井からコーヒーが降ってきた(笑)。

天井の板にところどころ隙間が空いてるもんだから、上の住人が床にこぼしたコーヒーが、階下の俺らのところに降ってきたわけだ。

久しぶりのあまりの環境の悪さに気がめいる俺…

まあ、人に聞けばまだここはましな宿なほうらしいから我慢、我慢。

あまり宿にいる気もしないから、リオは気合いれて観光してチャチャッと脱出しよう!どうせ、リオのカーニバルの時期にまた来るしね。


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2008年9月13日(土)
パラチー
昨日からパラチーというところに滞在中。

 

「天国に一番近い土地」とか呼ばれてるこの町は、古い街並みががきれいなリゾート地。今日は週末ということもあって、観光客がたくさん訪れているようで、小さな町に人がわんさかいた。

ここの見どころは、その古い街並みともう一つエルパソ劇場の人形劇というやつ。世界中で高い評価を受けているここパラチー発祥の人形劇らしく、これを観にパラチーにやってきたわけだ。

今日の夜それが観れるということで行ってきた。

会場は50人も入らないような小さな劇場。でも有名な劇ってことで、もちろん会場は満員。劇の内容はというと、言葉は一切なく夫婦二人だけで人形を操って、いくつかの演目を演じるといったもの。

言葉が一切ないんで、誰でも楽しめる。人形の操り方も、ホントの人間の動きを細部までこだわって上手く動かしていてリアルそのもの。演目ごとにも、それぞれメッセージというか伝えたいテーマがあって、人形の動きだけで上手くそれを伝えていた。

1時間ちょっとの劇だったけど、あっという間に終わったという感じ。終了後には、欧米人なんかブラボー連発してたし、確かに見ごたえのある人形劇だったと思う。なんといっても、チンプンカンプンなポルトガル語ナッシングだったんで、それが気楽でよかった(笑)。


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2008年9月12日(金)
消えたどら焼き
昨日の夜のこと。中途半端に夜の8時頃に寝てしまった俺は、夜中の1時くらいに目が覚めた。

晩飯も食っておらず、腹が減ったなぁと思っていたら、宿の従業員用の冷蔵庫にサン・パウロで買ってきたどら焼きがあるのを思い出した。アパレシーダは暑いから、悪くなっちゃあいけないと思って、冷蔵庫に入れさせてもらっていたのだ。

キッチンに行って、どら焼きを食べようと冷蔵庫からどら焼きを取り出し袋から出したら、どら焼きが2個消えている…

こういう安宿の冷蔵庫から自分の食い物を誰かに食われるなんてことは想定内のことなんで、ああ誰かに食われちゃったかくらいにしか思っていなかった。

そんな矢先、夜勤の宿の太ったおやじが、どうしたんだ?と冷蔵庫の前の俺のところに飛んできた。

俺が、どら焼きがなくなったと言ったら、俺がそれ以上何も言ってないのに、いきなり俺は食べてないよと、おやじが言ってきた。そして、その目が泳ぎまくっているじゃないか。

それを見て、完全に、このおやじが食ったなとその様子で分かった。

そういや、夕方宿に着いて、冷蔵庫にどら焼き入れる時にこのおやじキッチンにいて、俺が持ったどら焼きを見て、それはなんだと質問してきたのを思い出した。

日本のお菓子だよって答えたら、美味そうだって言ってた、言ってた!

完全に、こいつがクロで間違いない。

俺が、あんた俺のどら焼き食べたやろって聞くと、首を何度も横に振って違う違うと言う。

い〜や、あんたが食ったに違いないとさらに問詰めてたら、冷や汗なのか、ただ太ってるからなのか汗をびっしょりかきながら、それでも違う違うと否定。

じゃあ、その冷蔵庫は従業員用だからあんた以外の従業員の誰かが食ったってことだね。明日、オーナーに言って、あんた以外でこの冷蔵庫使った人がいないか聞いてみる。

こう言うと、この宿にはそんな悪いことする従業員はいないと言う。

そしたら、なんで俺のどら焼きがなくなるんだ?と聞くと、きっと泥棒が入ったに違いないとか言っている。

は〜ぁ?どら焼き2個だけ取って行く泥棒がどこにいるんだ?そんな間抜けな泥棒いるわけないやろと、むしろそれを聞いておかしくて吹き出しそうになる俺。

もし、泥棒が入ったんやったら、夜勤のあんたの注意不足ってことだね。あ〜、あのお菓子1個5レアル(約350円)もする超高級なお菓子だったのになぁ。

と、ほんとは1個2レアル(約140円)のところを、そううそぶいてみた。そしたら、おやじのほうから、俺の監視不足ってことで、そのなくなった分のどら焼き代は払うから、このことはオーナーに言わないでくれって言いながら、俺に10レアル渡してきた。

お金を渡してきたのには、ちょっと驚いたが、でも俺は一言もどら焼きが2個なくなったなんて、なくなった数までは言ってないのに、2個分の代金きっちり渡してきた。それに、もともと6個入りのパックのところ、1個は食べてたから5個しか入ってなかったからね。残り3個になったどら焼きのパックを見て、なくなったのが2個なんて分かるのは、俺か嫁さんか袋から出して食った人間しかいないはずだ。やっぱりおやじが食ってたんじゃんか。

こうして、おやじのある意味自供ともとれる10レアルをいただいて事件は解決。6レアル儲けたし、オーナーには、おやじの頼み通り言わないでおいてあげよう。

それにしても、どら焼きが1個5レアルもするなんて、えらい高いお菓子やなぁと、おやじは思ってるんやろなぁ。ほんとは2レアルなのに。まあ、悪いことした罰があたったってことですな(笑)。


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2008年9月11日(木)
これが現実
美味しい日本食を食べて過ごしたサン・パウロとも今日でお別れ。

Mさんの会社の運転手アレックスさんに、昼前にマンションまで迎えに来てもらう。

うす汚いバックパックを背負い、地下の駐車場から姿をくらますように退散。お前らなんかもう二度と来るなと言われそうだが、またリオのカーニバルの時期にお世話になる予定。その時もよろしくお願いします!

次の目的地は、サン・パウロからバスで約3時間のアパレシーダ。

 

昨日までの豪華マンションとは、似ても似つかぬいつもの安宿。ベットがあるだけの粗末な部屋。でも、これが現実なんだな…


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2008年9月10日(水)
セレブ生活終了
今日ようやく嫁さんのクレジットカードが届いた。ということで、カード待ちのためにいたサン・パウロでのセレブ生活も今日で終了。明日からまたいつもの旅人生活に戻るわけだ。Mさん10日間お世話になりました。

そしてサン・パウロ最後の夜は、偶然にもMさんの誕生祝いを兼ねた食事会に、自分たちもお呼ばれされ、中華料理をご馳走になった。

店は、お世辞にもきれいとは言えないような大衆料理屋みたいなところで、店員の態度もすこぶる愛想がないが、味はサン・パウロで一番と言われるだけあって、どの料理も美味かった。

明日からこんな美味い飯はそうそう食えなくなると思うと、食欲も俄然わいてきて腹がはち切れんばかりに食ってきた。

いや〜、それにしてもサン・パウロに来てから食ってばかりやったなぁ。毎日日本食三昧で、この10日間でちょっと太った気がするが…

まあ、食も旅の醍醐味ってことで多めにみよう。っていっても、食ってたのは日本食ばかりだったんだけどね…(笑)。


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2008年9月9日(火)
セナの墓参り
ここサン・パウロに、アイルトン・セナのお墓があるってことでお墓参りに行ってきた。セナのファンとかいうわけじゃないけど…まあ、F1に興味のない俺でもセナの名前くらいは知ってたし、いっちょ行ってみるかと思って。

セナのお墓は、サンパウロの超高級住宅街の中の墓地にある。

 

どのお墓もお金持ちのお墓だからだろうか、きれいにされていて公園みたいな感じがする。上の写真みたいに、芝生に囲まれた緑の多いところだ。

いろいろとお墓がある中で、ひと際花がたくさん供えてあるお墓があったが、それがセナのお墓。きっと今でもファンが花を供えに来るんだろう。いたずら防止のためか、警備員まで近くにいた。

 

            セナのお墓

 

               墓標

とりあえず、手を合わせてセナの冥福を祈ってきた。


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2008年9月8日(月)
Mさんの誕生日
今日は、居候させていただいているMさんの誕生日。

甘いものをあまり食べないMさんに、好物だというポテトサラダをご用意。

それから、やはり誕生日ということで花を買ってきた。

      

旅中は部屋に花を飾るなんてことがないだけに、たまにこうして部屋に花を飾ると、部屋が明るくなった気がしていいもんですな。


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2008年9月7日(日)
シュラスコ
Mさんから夕飯に、ブラジル名物シュラスコをご馳走になった。

シュラスコとは、肉の塊に岩塩をまぶして炭火で焼くだけの極めてシンプルな料理。

 

           岩塩をまぶす

 

         あとは、炭火で焼くだけ

      

            出来上がり!

焼けた肉は店員が客のところまで持ってきて、その場で切ってくれる。

     

      こんな感じで持ってきてくれる

それを、小さな肉取り挟みで取ったら召し上がれ。

 

あと、おもしろいのが下の写真のカード。

 

緑と赤が裏表になってるんだけど、これをテーブルに置いて店員に意思表示するようになっている。まだまだ肉をくれって時には緑、もういらねえって時には赤を表にしてテーブルに置いておく。

そして、店員がこれを見て、肉を持ってきたり来なかったりするようになっているわけだ。

緑にしてると、いろんな部位の肉を持った店員が、本当にひっきりなしに来てくれる(笑)。だから、すぐにお腹いっぱいになってしまう。そんな時は、小休止ということで、赤のカードにしておけば店員は肉を持って来ない。とまあ、こんな風なシステムになっている。

こんな感じで、緑と赤を交互に繰り返しつつ、ブラジル人は話を楽しみながら3〜4時間飲んだり食ったりするのが普通らしい。

こっちの肉は日本の肉と違って、脂身が少なく赤みを美味しく食うという感じなんで、けっこう量的には食える。自分らも2時間くらいカードをひっくり返しながら、肉を食い続けたが、さすがにそこまでで限界。

腹がはち切れんばかりに食ったが、デザートは別腹ということで、消化にいいというパパイヤアイスで締める。

豪快なブラジルの肉料理シュラスコ。日本の焼き肉とはまた違って、美味かった!


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2008年9月6日(土)
花祭りにて
毎年この時期に、サンパウロの郊外であるという花祭りに今日は行ってきた。

会場には、色とりどりの花が綺麗に咲いていて、訪れた人の目を楽しませていた。

会場の一角には、胡蝶蘭・ガーベラ・薔薇などいくつかの花の品評会コーナーがあり、1位から3位までの入賞者の作品が展示されていた。そして、その作品のほとんどが日系人の作品だった。

やはり、こういった花造りとか手間のかかることは日本人が得意な分野のようで、現にブラジルの花業(こういう言い方するか知らんけど…)は、ほとんど日系人が占めているらしい。

そういえば、養鶏業も手間がかかる仕事らしく、こちらも日系人がブラジル養鶏業での8割近いシェアを担っていると、先日行った日系移民史料館の説明にあったのを思い出した。

確かに、ラテン気質のブラジル人に手間のかかる仕事は性に合いそうもない。やはり、こういった手間のかかる仕事というのは、勤勉で真面目な日本人向きということなんだろう。

ただ花を観に来ただけのつもりだったけど、なんだかブラジル社会における日系人の勤勉さを垣間見たような気がした。


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2008年9月5日(金)
日野原先生
今日は、リベルダージ(東洋人街)まで講演を聞きに行ってきた。

誰の講演かというと、この方。

     

日野原重明先生。日本でも有名なんで、知ってる人も多いんでは。

日本じゃなかなか日野原先生の講演なんて聞けないし、それがブラジルのサン・パウロで聴けるなんてラッキーだと思い、講演を聴きにやってきたわけだ。

日野原先生のことは、ブラジルの日系社会にまでその名は轟いているようで、先生の講演聞きたさに会場は超満員。そして、聴衆の99%がご老人。自分らくらいの年代の人は、取材に来ている人やカメラマンくらいだったんやないかな。

しかも、今回の先生のブラジル日系社会講演同行ツアーみたいな団体が50人くらい日本から一緒に来ていた。要するに、先生のファンというか取り巻きというか、そんな人たちまで会場にいるわけだからちょっと驚き。ちょっとしたアイドルですな。

日野原先生は、現在齢97歳。かなりの御高齢である。が、壇上で初めて目にした先生はとても97歳とは思えないくらいハキハキと話をし、しかも90分近い講演中ずっと立ちっぱなし。本当に元気なというか元気すぎる97歳だった。

講演の内容も素晴らしいもので、会場に来ていたおじいちゃん、おばあちゃんも先生からきっとそのパワーをもらったことだろう。


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2008年9月4日(木)
市バス
嫁さんのクレジットカードが届くまで滞在予定のサン・パウロ。ただ、サン・パウロには実のところあんまり観光スポットがない。

まあ、別に観光せずに快適な豪邸でのんびり過ごすのもいいが、よそ様のお家でそんな怠惰な生活をするのも申し訳ない。ということで、サン・パウロ大学構内にあるブタンタン毒蛇研究所というところに今日は行ってみることにした。

別に、蛇マニアでもなんでもないが、そんなに遠くないし暇つぶしにいいかなと思って。

バスで1本で行けるみたいだが、そのバスがどこで拾えるか分からなかったんで、マンションのロビーでフロントマンに、このブタンタン研究所まで行きたいけど、どうやって行ったらいいか尋ねてみた。

すると、やはりこんなところに住んでいるセレブな人を普段は相手にしていることもあって、タクシーでお行きになったらよろしいかとと返答されてしまった。

タ、タクシーねぇ。ちょっとタクシーで行くには距離あるし、タクシー代払ってまで観に行く気はないしなぁ。

ということで、「い、いやタクシーじゃなく、市バスで行きたいんですけど」と言うと、向こうもバスで行くとは想定外だったらしく、「バ、バスでございますか…」みたいな返事をされてしまった。やはりここには市バスを利用するような庶民的な方は住んでいないんだろう。

でも、そのあとインターネットでマンション最寄りのバス停がどこかを調べてくれ、そのバス停の地図までプリントアウトして渡してくれた。おまけに、もし迷子になって帰れなくなったら、ここに電話して下さいと、マンションの名刺まで渡されてしまった。ご丁寧にありがとうございます。

こうして、フロントの方の親切な対応のおかげもあって、庶民の足である市バスを乗りこなし、難なく研究所に行くことができたのだった。


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2008年9月3日(水)
不審者?
朝、洗濯をしたあと乾燥機をかけにマンションの1階にある乾燥機がある部屋へ行った。その時、そこにいたホテルの従業員に不審そうな顔で見られ、おまえはこのホテルの住人かみたいなことをポルトガル語で質問された。

俺はポルトガル語ができないんで、お互い意志の疎通ができないでいると、フロントの女性がたまたま通りかかった。彼女は俺らがここに居候していることを知っているので、事情を説明してくれて事なきを得た。

もう少しで不審者扱いされるところだった。まあ、それだけセキュリティーがしっかりしてるってことなんだろうけど。

不審者扱いされたということで、俺はここに住むのにふさわしいセレブな人物とはみなされなかったようだ(笑)。


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2008年9月2日(火)
アイルトン・セナ通り
今日の昼、街を歩いていたら、『アイルトン・セナ』通りなるものを発見。

      

片道5車線のでかい通り。ブラジルの国民的スターだっただけあって、道の名前にまでなってしまうとはさすが。

この通りを渡って、今日から始まるという日系移民100周年を記念した展示会を観に行ったが、何でも準備が間に合っておらず、まだ観れないとのこと…まあ、ラテンの国を旅してきてこういうことには慣れっこだからいいけど。また明日出直すか。


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2008年9月1日(月)
引っ越し
今日から宿の変更。

先週お会いした義父のいとこのMさん宅に泊めていただけることになったので、そちらへ引っ越し。

引っ越した先は、サン・パウロど真ん中の超高層マンションの22階!アパートメント・ホテルで、ホテルとして1泊したら2万円以上するらしい…

      

          ちなみにこれがその外観

日本人の駐在員もけっこう滞在しているという高級マンションに、俺らみたいな長期旅行者が泊まれるなんてまるで夢の様。

バスタブ&ジャグジー付のお風呂だけでも感激もの。普段は、シャワーだけでお湯が出れば御の字みたいなところばかりだったのが、バスタブにジャグジーとは!久しぶりに湯船につかった。湯船最高!

もちろん洗濯機も乾燥機もあるから、いつものように手洗いしなくて済む。

キッチンには、日本の調味料満載の使いやすいキッチンがあるし、これなら日本食毎日作れそう。

昨日まで泊まってた鹿児島県人会も、洗濯機や乾燥機、キッチンがあって、今まで自分らが泊まってきた宿の中では、最高レベルの宿だったことは間違いない。

でも、今日から泊まるここはそれをはるかに凌駕して快適!

長期旅行者の俺らにしてみれば、まさに城、宮殿、王室、そんなレベルのところでございます。

今日からしばらくプチ・セレブな気分を味わおうっと(笑)!


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